30分以上バスに乗り、買い物に行った時のことです。車内は混んでいたのですが幸いにも座れ、週末の疲れでうとうととしていたところ、バスの奥のほうから突然男の子の泣き声が聞こえて来ました。あまりに大きな泣き声で「何事?」と奥を振り返る人もいたぐらいですが、どうやら男の子は「すわる〜、あそこ〜」と、泣きながら主張しているようです。おばあちゃんとお母さんが低い声で、「そこはよその人が座っているでしょう」というようなことを言い聞かせているのですが、泣き声はますます大きくなるばかり。「私が立ちましょうか?」席を狙われた老女の声まで聞こえて来て、「さてどの様な展開になるのかしら・・・?」と、ちょっとどきどきしていると、買い物のビニール袋を沢山もったお母さんが「そんなとんでもありません」と老女に断り男の子の手を引きながら私の座っている前の方に、やってきました。男の子は、ひっくり返るほどの高い声で泣きながら「すわるの〜」といい続けています。おばあちゃんもそばに来て、お母さんの大きな買い物袋を「持ってあげる」と少し硬い表情で受け取りました。手の空いたお母さんはさっと男の子を抱き上げますと、たちまち男の子の泣き声のトーンが下がりました。そしてその後お母さんは丁寧に「もしあの席に○○くんが座っていて、誰か違う人が座りたい〜って言ったらいやでしょう。あの席は、今日はもう座っている人がいるでしょう。今度バスが空いている時間に乗ろうね」その様なことを2回ぐらい熱心に話しているうちに男の子は、いつの間にか泣き止んでいました。お母さんのお話にいちいちうなずく様子はないものの、「座れないのだ」と自分に言い聞かせているかのようにじっと一点を見つめ、お母さんの肩にまわした男の子の指は、しきりにカリカリと動いていました。

この男の子はおそらく座りたいといっている席に何度か座ったことがあるのでしょう。お気に入りの決まった席になんとしても座ろうとする姿と、単語をつなげただけの言葉遣いに、2歳児半ばの特徴がとても良く現れていると思いました。バスのなかの人々のなかにこの男の子の泣き声を「うるさい!!」などという人が居なくてほんとに良かったし、お母さんも男の子を叱らず、丁寧に諭す姿にはとても感心させられました。

このように、自己中心的な姿を見せる2歳児時代、「思うようにならないと泣き叫ぶから、できるだけ乗り物には乗らない」と決めておられる方も時々いらっしゃるのですが、私はこの時期にどんどんバスや電車に乗って、たくさんの経験をさせて欲しいと思っています。自家用車などで買い物などに出かけることは、確かに大人にとっては楽なのでしょうし、子どもが何か思い通りにならないことで泣き叫んでも、他人の目を気にせずにすみます。この男の子のお母さんのように真剣に受け止めて分らせようとせず、車の中だと泣かせ放しにしてしまうかもしれません。けれども、泣き疲れて寝入ってしまうというパターンは、子供にとってとても不幸なことではないでしょうか?この時期の子どもの要求の殆どは、子どもにとって当然の要求なのです。この要求を出せるということ自体、子どもの心が順調に育っているということだと私は思います。

まだまだ自分の気持ちを充分に発することの出来ないこの時期の子どもはまた、この時期にしか成長しないすばらしい能力を発揮します。例えばお目当てのお店が定休日だったとして、お店の前で大人が「あーあ残念」といったとすると、次に同じような状況に出くわすと子どものほうが「残念ね」と的確に使ったりして、どういう時に“ざんねん”ということばを使うのかどんどん実体験の中で、感情を含めて覚えていきます。あまりにも的確に、またあっという間に色々なことばを覚えていくので、大人がびっくりして、「うちの子、天才かしら?」などと思う方が多いのではないでしょうか?けれどこのすばらしい能力は、大人の都合よい場面にのみ現れる訳ではないことを、お父さん・お母さんは充分にお感じになっていることでしょう。楽しかったひとときの状況を体全体で覚えていて、上記の男の子の例のように一度経験した感動的な体験を何が何でも主張するのが、「自己中心的時代」と言われるゆえんなのです。この時期、様々な場面で私達大人を困らせながらも、子どもは「どれほどぼくのしたいことをわかってくれるか?」と私達大人を試しつつおお泣きしています。それを肝に銘じながら、子ども達にできるだけの実体験をさせてあげて欲しいと思います。日常生活の中での、大・小様々な葛藤を経験させてあげつつ、子どもが泣くことに無関心にはならずに真剣に子どもの気持ちを聞きだし、たくさんお話をしてあげて下さい。楽しく子育てNo.2赤ちゃんの泣き声でも書きましたが、多く泣いたお子さんほど、心豊かな年長児時代を迎えられことを、何人ものお子さんから教えられています。