夏の季節に2歳半前後を迎える子どもの大半が、オムツをはずしパンツで遊ぶようになります。オムツの鬱陶しさから開放された子どもは、活発に動き回り身体で様々な事を体験し、私たち大人から見たら特別ということではない場面(転ぶ・落ちる・ぶつかる)等を通して、様々な事を感じ、学んでいるのでしょう。自分自身の身体が「あぶない!!」という感覚を感じる時、子供の心の中に育ち始めている想像力と結びついて “なんとも言えない恐怖心”も芽生え始めてきます。

小走りに走れる位に足が達者になってくると、子供たちの言語もみるみるうちに達者になってきます。脳科学の文献で諸器官の発達の説明を読むと、言葉の達者な子供がおしっこを漏らすことが多いということが納得できます。言語と排泄をつかさどる脳は隣り合わせていて、あまりに言葉の早いお子さんはどうしても排尿のコントロールが遅くなるのだそうです。「あ〜あでちゃった!!せっかくきたのに」などと言葉に出来るくらいなら「早くトイレに行きなさい!!」と言いたくなりますが、ここはぐっと我慢、決して叱らないで下さい。こっちが立てばそっちが立たず、2歳児時代の成長はまだまだアンバランス。そこがなんとも可愛いではありませんか?

さて、保育園での2歳児ですが、4月1日に2歳になっている子どものクラスですから、4月の新学期は、2歳になったばかりの子どもと4月の誕生日を迎えるとすぐに3歳になる子どもがいます。このように月齢差がありますが、オムツはずしなどは子供の体質・個性・生まれた季節に影響されることが多く、あまり月齢順にはずれるというものではありません。けれども、大人への質問の際のことばに表れる「こころ」の発達に目を向けると、月齢の低いこどもと月齢の高いこどもの違いが、分かりやすく現れてくることに気づきます。

月齢の低い2歳児は「物には名前がある」ということに気づき、しきりに「これなに?」といった質問をしてきます。私達大人が丁寧に優しく答えてあげると、そのやさしさを期待して何度も何度も質問を繰り返す子どもがいます。どうも気に入った答え方をしてくれる大人には、何度も「これなに?」を繰り返すようです。そして2歳半を過ぎた子ども達の心の中に育ち始めた恐怖心は、実際の言葉となって言い表されてきます。昨年度の2歳児クラスで私が絵本読みをした際、子ども達の様子やことばを担当保育士さんに記録をとってもらっていましたが、その記録を読むと子どもの質問は、心の中の恐怖心からくるものがとても多いことに気づきました。

おばけ・かいぶつ・おにが出てきて主人公を「たべちゃうぞ〜」という場面のある絵本は、子どもにとっては、不思議な魅力があるようです。こうした絵本を読むと、保育士にしがみついて絵本を見ている一方で、「どうしておばけがでるの?」「かいぶつはこわいの?」「どうしておにはたべるの?」といった質問をしているとの記録が書かれていて、子どもが興味津々の様子が伝わります。そこで読み手としては、怖がらせすぎないで興味を引くバランスを考えます。

「この本はだめかな?」と思っていると「またよんで〜」とせがまれるので、子とも達は、安心できる読み手や、保育士さんと一緒なら、怖いお話は聞きたくて仕方ないほど好きだということが分かります。怖いけど、「もっとよんで!!」とせがまれる絵本の中に、フランス民話“ふくろにいれられたおとこのこ”山口智子再話 堀内誠一画(福音館書店)があります。ある日、この本を読み終えた時、間もなく3歳になる男の子が聞いてきました。

 男の子:おにはどうして死んだの?
 わたし:わるいやつだから。
 男の子:なんでわるいの?
 わたし:ピトシャン・ピトショ(主人公の男の子)をたべちゃうから
 男の子:なんでたべるの?
 わたし:子どもはおいしいからよ。
 男の子:(にやっと笑う。)

3歳近くなると、このように怖いお話は子どもの想像力を育て、考える力も同時に育てる助けとなります。子供たちの質問は次々と繰り返され、質問に答えた言葉にまた質問してくるといったことになることも普通です。そんなときは、「うるさい〜いい加減にして~」と言ってしまいたくなるのですが、これでは大人の負けですね。質問には分り易く、子どもが肯定される形で終わらせてあげることが肝心です。時には、ユーモアやジョーク、ファンタジーをまじえて、最後は大人も一緒に笑えるくらい楽しい雰囲気の答え方をしたいものです。そのことで子どもには、自分自身を大切にされているという感情とともに、物事を豊かに捉えられる楽しい心も同時に育つことでしょう。