最近は胎児期の研究も進み、赤ちゃんは羊水を通してお母さんの声をたくさん聞いていて、優しいトーンの声かけには落ち着いた心音を示すといわれています。お母さん自身も、頭の中では、生まれてくる赤ちゃんを抱きしめながら優しく語りかける母になりたいと、出産をたのしみに待ち構えているに違いありません。ところが生まれでた真っ赤な顔で泣く赤ちゃんの、授乳・おむつ・沐浴などなど、次から次へと続く要求を満たす事にパニック状態に陥ってしまうお母さんが少なくないと、保護者の方々の出産直後の様子を伺い感じています。

 実際、新生児がお母さんにとって予想外の存在であっても、無理はありません。私個人の経験を振り返っても、娘が誕生したとき、小さいながらも生命力にあふれた姿に感動する一方で、まだ首も座らず、赤く、くしゃくしゃの顔で泣いている目の前の娘が、妊娠中に雑誌などで見た愛らしく笑いかける赤ちゃんのイメージとは大変かけ離れていることに、軽い衝撃を受けたことを思い出します。加えて、脆そうで泣くばかりの扱い方の分からない存在に授乳させることも、新生児の母親の大難関のようです。出産した産院や産後に訪問してくれる保健師さんの指導通り順調に進まないと、「母親としての及第点が取れない」と悩みこんでしまう人も少なくないようで、これが産後のマタニティーブルーと重なるケースもあります。

 赤ちゃんの存在を自分の体内で感じる妊娠という体験から、出産を機に、独立した人格である赤ちゃんとの向き合いが始まり、育児にまつわる「理想」と「現実」の間の格闘がはじまります。赤ちゃんのお世話については、医師、助産師、保健師、育児書、身近な人などのアドヴァイスが、目安を与えてくれるでしょう。また大量に送られてくる情報のうち、赤ちゃんグッズのカタログや雑誌は、可愛らしく飾られたモデルの赤ちゃんのイメージで埋め尽くされ、理想の赤ちゃんばかりが登場しています。確かに、未知の存在とつきあうには心の準備や予備知識が必要であることは言うまでもありません。しかしそれに影響を受けすぎると、目の前の現実の存在を観察し、感じ取る事ができなくなってしまう危険もあります。

 例えば、前述した授乳。赤ちゃんのおっぱいの飲み方、母親の乳の出方は人それぞれ皆違うので、ある程度の目安として示された授乳量にこだわるのは、赤ちゃんにとっても迷惑かもしれません。なによりも教科書に縛られず、赤ちゃんの表情・様子から「もう満足かな?」と直接感じ取っていく力を磨くことが大切です。そのためには、目覚めているときの赤ちゃんの目をみつめ、語りかけることを忘れないようにしましょう。語りかけのコツは、お母さんが授乳しながら赤ちゃんに声かけをする距離(約30センチ)でもって、赤ちゃんの顔を覗きこむように声かけてください。これは、お母さん以外の人が赤ちゃんのお世話をしてくれる場合も同様です。「おばあちゃん顔近づけ過ぎ!不潔!」なんて言わないで下さいね。赤ちゃんは、5・6ヶ月位迄は、ちゃんと母体からの免疫を貰って生まれてきますから、神経質になり過ぎなくても大丈夫です。赤ちゃんが音と光に最も反応することは、生理学的にも証明されているようです。はじめはいろいろ心配かもしれませんが、ご自身のありのままの感じ方を特殊だと思って責めることなく、赤ちゃんの反応をじっくり観察してゆけば、赤ちゃん自身が持つ主体的能力(音や光を感じ取る能力)と個性的な反応(顔をしかめるような表情やうっとりと聴こうとする表情)が徐々に見えてくるようになり、様々な不安が、赤ちゃんと心が通じていく喜びに変っていくはずです。

 私たちの園でも、生後2ヶ月が過ぎたばかりの赤ちゃんを「産休明け保育」でお預かりすることがありますが、生まれてからたった2ヶ月しかたっていない赤ちゃんであっても、それぞれ個性をもち、特に周囲の人に対する関心の示し方が全く違うことに驚かされます。入園前の面談で保護者の方からお話を伺うと、はじめて会う私達をじっと関心を持って見つめてくれる赤ちゃんは、生まれたばかりの頃から、赤ちゃんの周囲の大人や、上の兄姉からたくさん語りかけてもらっている赤ちゃんのようです。未知の存在である赤ちゃんとのコミュニケーションは、赤ちゃんの優れた聴覚にむけた大人のやさしい「声」が鍵です。ご両親ばかりでなく、様々な人のやさしい語りかけが新生児を育み、赤ちゃんの個性的な反応が、大人たちの新たな関係の環を育みます。さらにこうした相互関係が、後の楽しい子育ての基礎をつくります。どうぞ、ご自分の感じ方を信じて、少し力を抜いて語りかけを楽しんでみてください。