「這えば立て、立てば歩めの親心」とは、子供の成長を願う親の気持ちを実に上手に言い当てたことわざで、これは保育園の保育者の気持ちにも通ずるものです。しかし現代生活の中では、赤ちゃんの<はいはい>がごく当たり前の成長として現れず、這う動作をする子どもがとても少なくなっていて、してもあっという間につかまり立ちしてしまう子どもが多くなっているように感じます。小学校低学年の子どもたちが転んでも手をつけずいきなり顔面や唇を切ってしまうといったケースが多いのは、這う事を充分経験していないからではないかといった意見が多く聞かれます。

2ヶ月を過ぎた頃、元気な赤ちゃんは足をばたつかせた拍子に、ころりっと寝返ってしまうことがあります。まだ首が充分に座っていないので腹這いは辛そうですが、私達の保育園では赤ちゃんが起きている時間には、寝返りをしたくなるように、音の出る遊具をゆすってたくさんの声かけ(名前を呼ぶ)をします。赤ちゃんの視野がどんどん開ける2ヶ月から3ヶ月にかけて首尾よく寝返りを体験できる赤ちゃんは、今まで寝た状態で見ていた周囲の様子を真正面から見えることが嬉しく、何度も寝返りに挑戦します。赤ちゃんの目の前に大人が目線を合わせるようにして腹這いを励ますことで、赤ちゃんは腹這いを五感で楽しむことができますし、あくなき繰り返しによって腕の力がつき、首の座りが徐々にしっかりしてきます。

そして眼のついている<起き上がりこぼし>のような玩具に笑いかけ、だんだんと手を伸ばし触ろう(なめよう)とする動作も日に日に育ってきます。ちなみに、玩具を目のついていないうしろ側にしてしまうと玩具への関心はすっとなくなりますが、これによって赤ちゃんが如何に周囲の人(大人やお兄ちゃん・お姉ちゃん)の瞳の輝きを頼りにしているかが分かります。

赤ちゃんは大好きなお母さんや保育者に向かって這い出そうともがき、床の上で犬掻きをしているかのように、何とか動こうとします。腕に力を入れると反対にますます後ろに下がってしまい悔しそうに泣く赤ちゃんには、何とか力を貸してあげたいと思いますが、私たちは足を支えてあげながら、赤ちゃん自身が前に踏み出すコツを体で学び取るような援助でとどめています。頑張れば頑張るほど前に進まない赤ちゃんは、けなげでなんとも可愛く、ついつい見物してしまいたくなるのですが、真正面から励ましてあげることが大切です。

そして実際に<はいはい>できるようになる迄にはそれぞれの日にちがかかりますが、腹這いで疲れて泣き出したら、やさしく「頑張ったね~、くたびれたね~」としっかり抱きしめてあげています。将来、子どもたちのこれからの人生には、自分の力で乗り越えなければならない様々な困難がたくさん待ち受けていることでしょう。たとえこんなに小さな赤ちゃんであっても、自分の力で動きだすこと、動けることへの願望は大きく育ち始めているのです。「こんなに辛い思いをするなら腹這いはやめよう」とは決して思わず、赤ちゃんは何度も何度も腹這いになり、体をばたつかせながら、<はいはい>の一歩の踏み出しの時を探っているのです。繰り返される挑戦のたびに、やさしい大人の暖かい抱きしめを経験すると、頑張るという行為とセットで、大人からの励まし・やさしさも赤ちゃん自身の感覚の記憶となっていきます。

<はいはい>を覚える時期はまた、赤ちゃんの性格や体力などの個性が出始める時期でもあります。腹這いした瞬間に、周囲にたまたま赤ちゃんを見守る声や瞳の輝きを感じ取れない場合、デリケートな性格の赤ちゃんの場合は、今までと違った周囲の見え方に不安を感じ、すぐに泣いてしまうことがあります。そこで「この子は腹這いが嫌い」と決められてしまって、積極的に腹這いを経験させてもらえずに5ヶ月を過ぎて入園してきたお子さんは、腹這いに続く這う動作も好きにはなれないようです。そして中に<はいはい>をせずに「早くお座りができた!!」と喜ばれる保護者の方も決して少なくありません。どっしりと座っていてくれると大人とのアイコンタクトもとり易く、いろいろな玩具でもって一人で遊んでいてくれる、といった大人の側から見た利点も出てきます。元気な赤ちゃんが5ヶ月過ぎで「動きたい!あの玩具に触りたい!なめたい!」と思ってうんうんと唸りながら腹這いしている時、お座りを覚えた赤ちゃんも当然遊具がほしい!という要求をもちます。そのときに「う~ん」と唸るだけで遊具を大人に取ってもらえるなら、動かなくても唸ればよい、という知恵が育ってきます。何とか自分が動かなければ目的に達さないと感じている赤ちゃんと、不機嫌な声を出せばなんでも要求がかなえられる赤ちゃん、これからの生きる道筋に大きな開きが出て来はしないでしょうか?そこで私たちは、腹這いの苦手な赤ちゃんにも這う事を覚えて貰う為に、根気良く腹這い姿勢の赤ちゃんにたくさんの声かけをする時間を作ります。

赤ちゃんが寝返り・腹這い・這う動作を充分に経験し、できるだけゆっくりと、歩き出しの一歩一歩を腰を抜かしつつ自分の力で進んでいってほしいと思っています。赤ちゃんが体を自らの力で動かすことにより、はいはい・つかまり立ち・歩行開始の上向きの動き以外に、しりもちを着く・転ぶ・すべるといった歩行開始に伴う下向きの動きに対する筋力も育っていって欲しいと願うからです。そうすることで、冒頭で述べたような転倒事故を防ぐと同時に、転んだ時手がつけられ、顔をぐっと上にあげる姿勢が取れて、顔面のけがを防ぐことができるからです。

しかしそうした身体能力ばかりでなく、自分の意志で動こうとすることには、もっと大切な意味があります。私たちの保育園での、0歳児から小学校入学前までに成長した子供たちとのお付き合いのなかで振り返ってみるとき、<はいはい>開始の頃芽生えた意志は、その後の子どもの基本的な性格へとつながり、子どもたちが意志を持って物事に取り組んで行く基礎をつくっていたのだということを、幾度も実感してきました。<はいはい>開始前の腹這いの時期の意志の芽生えはこれほど重要なものなので、どうか大切に育ててあげていってほしいと思います。