5歳を過ぎた子どもは、何事も自分の考えで物事を進めたい思いで、大人からの干渉をひどく嫌います。私達大人はついつい子どもの行動を先取りして、「ご飯だからおもちゃをかたづけなさい」とか、トイレから出てきた子どもに「手を洗って!」とか声をかけてしまいます。「今やろうと思っていたのに!!」という子どもにしてみると、このような声かけは、とてもうっとうしいものでしょう。そんなとき、例えばトイレから出てきた姿を大人から見られていないと思うと、「手洗った?」と聞く大人に対し「洗ったよ」とすました顔で言うという話は、どのご家庭からも聞かれますし、「うちの子は嘘をつくようになった」と本気で悩まれる方ももいらっしゃいます。

 私たちが子どもの頃は、「うそは泥棒のはじまり」といわれて、大人からはひどく注意をされていた覚えがあります。この年齢の子どもの「うそ」を「ささやかなうちに何とかしたい」と思われる気持ちは分からなくありませんが、ひどく神経質に注意ばかりしても、あまり良い結果は得られません。 子どもがうそをつく場面や理由を理解し、本人の自発的意志に訴えない限り、うそ自体をやめさせることは難しいからです。

 例えば、私が5歳児クラスに絵本読みをする時に度々あることですが、絵本読みを始めた直後に、あわててトイレに駆け込む子どもがいます。始まる前だとこちらも待っていますが、始まってしまうと途中で止めるわけにいかず、そのまま続けます。早く絵本が見たいのでしょう、トイレを飛び出すように部屋に戻ってきてもとの席に座ろうとする子どもに、担当の保育士さんが「手洗った?」と聞きますと、すました顔で「洗ったよ」と答えます。すると担当さんは「あれっ、水道の音聞こえなかったよ」と、とがめる調子でもなく言います。「手洗わないとばい菌ちゃん大暴れするよ」保育士さんが言うと、子どもたちはちゃんと水道に戻り、手を洗ってきます。何回かこんなやり取りをしているうちに、子どもたちの手洗いは日常化していきます。子どもたちの感情を逆なでしなければ、「清潔のために手を洗う」という理屈が勝って、自ら行動できるようになるのです。

 他によく見かけるこの年齢の子どもたちの「うそばなし」に、「○ちゃんハワイに行くんだって」と、海外旅行の話題の際に出るものがあります。この年齢の子どもたちは決して「いいな~おれも行きたい」とはならず、「おれもいくんだ~」と張り合いの言葉が出てくる特徴があります。そして「おれグアムにいくんだ~」「カナダに行ったんだ~」と広がります。子どもたちの具体的なスケジュールを知らない私は、「本当?いいな~、私もカナダ行きたいな~」と言うと、とても得意そうな表情になりますが、話がそれ以上進まない場合は、子どもたちの願望だと気づきます。そこは知らんふりをして話を聞いていくと、ある子どもが「羽のついた車で行くんだ」と話しだし、「それで行くと川を渡るときには羽が広がって空を飛べるんだよ」と友達に大うけになり、その話が1週間も続いていました。「そんなばかな!」などと話を遮ったら、子どものプライドは丸つぶれになります。私はそのような話になったら、口をはさまないようにします。子ども自身これは「うそっこ」の話と分かっていて、多分大人が会話に入ることは望んでいないでしょう。それにしても子どもの想像力は、何かを渇望している時には、何と大きく羽ばたくことでしょう。

 けれど、楽しく子育て40の事例のように、お友だちの物をとってしまった場合などは、子どもとのやりとりだけで済ませられないこともあります。保育園でお友だちのものを持っていた子どもに「これはどうしたの?」と聞くと、「もらった」と答えました。皆で話し合ってみたところ、ある子が「取ってこい」と命令した事が分かったので、親御さんに集まって頂きました。そして「決して叱らず、人のものをとってしまうのはいけない事を話して欲しい」とお願いし、仲間でいた子ども全員に話していただくと、翌週にはピタッと子どもたちの行動は落ち着き、元気なもとの姿に変りました。忙しくしておられたお父さんお母さんが本気で子どもたちに向かい、子どもの話しを聞いたことにより、子どもはむしろ以前よりずっと楽しそうな表情に変りました。つまり子どもは、お友だちのものが欲しかった訳では決してなく、大人達の自分に対する本気の関心が確かめたかったということが分かります。

 子どもは、私たち大人から見て明らかに分かってしまう嘘をつくものです。民族学の柳田国男は「ウソと子ども」(ちくま日本文学全集・33巻所収)という文章で、作者自身がひょんなことからついてしまった嘘にも言及しつつ、子どものつく周囲にそれと分かる嘘を導入に、「うそ」という語義の変遷を、文献をたどって示しています。「うそつきは泥棒の始まり」と厳しく律する風潮はそれほど古くはなく、嘘の全てが悪いこととは考えられておらず、むしろ「人生を明るく面白くするためにはウソは欠くべからざるものとさえ考えているものが昔は多かった」と述べています。この文の最後の部分(364頁)は日頃子ども達と接する大人たち全てへのメッセージとして大いに参考になるので、引用させて頂きたいと思います。

 「子供がうっかりウソをついた場合、すぐに叱ることは有害である。そうかと言って信じた顔をするのもよくない。また興ざめた心持を示すのもどうかと思う。やはり自分の自然の感情のままに、存分に笑うのがよいかと考えられる。そうすると彼等は次第に人を楽しませる愉快を感じて、末々明るい元気のよい、また想像力の豊かな文章家になるかも知れぬからである。」 

 子どもが願望とプライド・想像力を駆使してつく「うそ」を、「ウソをついてはいけません」と頭ごなしに叱らず、そんな事を話す子どもの「心の奥深く」を理解し、その創意を認める心の余裕を持ちたいものですね。できれば勧善懲悪が面白く分かる昔話・絵本を、大人も一緒に楽しみながらたくさん読んであげることで、子どもが自ら養う道徳心の育ちをゆっくりと見守れたら、子育てはきっと楽しいものになる事でしょう。