子どもの心の発達は個人差はあるものの、おおよそ一定の道すじを辿ります。服部祥子氏は「子どもが育つ道すじ」愛と英知の親子学(朱雀書房)の中で、乳幼児時期に大人やお友だちから与えられる様々な感情体験の重要さを論じていますが、しかるべき年令で得られなかった感情を、思春期や大人になって歪んだ形で取り戻そうとする姿を、多くの事例で示しています。

 例えば、甘えたい時に甘えられなかった、自己主張を妨げられた、何でも知りたくて自分で試したら、「いたずらした」と叱られてばかりいた等、子どもの心に傷となって残る経験は、いずれ大人になって閉じこもりや反抗という形で現れるといいます。

 ではその心の発達の一定の道すじは、どのように進むのでしょう。「くまのプーさん」の作者アラン・アレキサンダー・ミルンは自身の子ども(作中実名で登場するクリストファー・ロビン)の育ちを傍らで見つつ、子ども同士の実に無邪気なやりとりのこの童話を書いたと言われています。そして「六つになった」という詩の中で子どもの心の成長をとても分かり易く描いています。


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 この詩が端的に描いているように、どんな子どもも自我の意識と自己肯定感を確立していくことが、共通の発達の道筋と言えると思います。人間の子どもは、他の動物と比較してとても未熟な状態でこの世に生まれてきます。しかし生まれて6年も経つと、自分は他のお友達とは違っていて、自分の存在に大きな誇りを持つことさえ出来るように成長します。A・Aミルンが生きた100年以上も前のイギリスの田園風景の中で育つ子どもの姿と、現代の都会で育つ子どもとでは育つ環境が大きく異なりますが、実は子ども自身の心の発達にはそれ程大きな違いはないのです。

 私自身の子ども時代を思い起こしてみると、戦後の埼玉県の片田舎で、ほとんど子どもだけからなる集団の中で、野放図に遊んでいました。幼稚園・保育園とは縁のない生活によって、集団の中で管理され、評価される事にも無縁でした。それでも小学校入学を控えた春先の事、母が「もうすぐ小学生になるから鶏の餌やりをしなさい」と、餌の野菜を刻むために、本物の包丁を使う事を許可してくれました。「自分はもう一人前!」と有頂天になったことを思い出します。この自己有能感を、高齢者となった今でも鮮明に覚えています。時代が変わっても、子ども達が就学までに何を身につけておかなければならないかと問われれば、私はこの自己有能感、自分に誇りが持てる心を育てる事をあげます。それでは、ミルンの詩のような6歳になり、自分のことが誰よりも好きで希望に満ち溢れて小学校に入学していける子にするには、どのように幼児期を過ごせばよいのでしょうか。

 5歳という年齢の特徴をよく表した「クレヨンしんちゃん」というアニメがあります。しんちゃんは、A.Aミルンが詩のなかで、「五つのときは、なにからなにまで おもしろかった」を文字通り生きている子どもです。しんちゃんは人前でとてもやんちゃな姿を見せてはお父さん・お母さんを困らせつつ、本人は面白くてたまりません。しんちゃんのような大人の気を引くいたずらの根底には、子ども自身が「おもしろそうなこと」を発見し、そのことを突き詰めるなかで確かめる強い自主性があります。大人から見ると厄介ないたずらであっても、やんちゃな姿がたくさん見られるような幼年期を過ごし、それを大人から暖かな眼で見守られる幸せな5歳児時期を経て、いよいよ自分の存在に大きな自信を持つ6歳児時代が迎えられます。

 ただ子育ての中でとても厄介なこの時期に、親の仕事の悩み・家族の介護などで、日々の生活が非常に忙しくなってしまう事があります。あるいは、弟妹が生まれ両親の気持ちがそちらに移り「お兄ちゃん・お姉ちゃんでしょう」と厳しい口調での子どもへの要求が増えてしまうケースもあります。子どもの気持ちを思いやる余裕がなくなり、親の思い通りにならないと、ことごとく「なんて悪い子!」と子どもに対して感情をぶつけてしまうと、子どもはとても反抗的になっていきます。

 他にも小学校入学を意識して、行きたくない塾に通わせられているケースは、とても深刻な問題を孕んでいます。始まりは自分から「行きたい!」と言って通い出した習い事も、子どもにしてみると何らかの理由で行きたくなくなることは良くある事です。そんなとき、行きたくなくなった子どもの気持ちを理解しようとせず「自分から言い出したことでしょう」と叱るなら、子どもは嫌々塾通いをすることになります。

 自分の存在に大きな自信が待てるようになるには、他人と一つの基準比較・評価される塾通いは、大きなマイナスとなります。「お友だちが行ってるから自分も行きたい」と思った習い事や塾でも、やってみたら思っていたのとは違っていても、この年齢の子どもが予測出来なくても当然なのです。「自分で言い出したことに責任を取らせる」ことを重視する考え方もありますが、この年齢の子どもを「自分で言った」とがんじがらめに縛りつけるのは、間違っていると思います。小さい頃に大切なのは「大人から見た成果」ではなく、経験してみて本人が何を実感するかであり、親はこの過程に出来る限り寄り添うことが必要だと思います。大人から見たら「成果の点では無駄ばかり」に終わる経験でも、子どもが体験を通じ「自分に合う/合わない」「楽しい/楽しくない」基準を実感できるなら、大成功だと考えるべきなのです。何事も未経験な子どもにとっての自主性を育むとは、「言ったことをまっとうさせる」ことにあるのではなく、子ども自身が興味を持ち、自分が考え出した方法で取り組むことで、失敗も含めてさまざまな経験をしていく過程を尊重されることにあると考えます。興味を持った何かが知らず知らずに続く中で難しい技術を学んでいければ良いし、もし途中で飽きてしまっても、「これは合わない」という体験をしたと考えれば良いのです。

 塾通いに大きな価値づけをしてしまう大人にとっては、何やら子どもが熱中している事柄は取るに足りない事のように思えるかもしれません。しかし子どもが興味を持ち、何度失敗しても、自分の工夫で何かに取り組んでいる時間こそ、子ども自身が大きく成長できる素晴らしい時間なのです。小学校入学を意識して、学習に関する習い事に通わせている間に「べんきょうだいきらい!」と思う子どもが多く育ってしまうことは、残念でたまりません。入学を来春に控えた子どもに育てておかねばならない事は、「答え合わせ」で高い点を上げる子どもではなく、1日の生活の流れを出来るだけ自分の意志でもって賄えることです。朝は自分から目覚め、遊びたいお友だちの顔が思い浮ぶか?遊びたい遊びがあるか?など、子どもの意志が尊重され「自分のすることを大人の基準で一刀両断に評価されない」生活は、子どもに安心と充足感をもたらします。そして「この次はこうしてみよう」という子ども自身が考える力こそ、入学前の子どもに是非とも育てておきたいものなのです。

 もしお子さんが小学校入学を前に急に「クレヨンしんちゃん」のように困った姿を見せてきたら、それは子ども自身が1回は経験しておかなければならない通過儀礼と思って、本気で受け止めてあげて欲しいと思います。そして小学校入学前に自分から取り組む「思いっきりおもしろいこと」には、様々な課題がつきものです。自分の力で何とかしたいと思っても行き詰ってしまって、子どもの心がぐらぐら揺れる時もあるでしょう。そんな時にはやはり大人の助けが必要です。子どもにとっての自主性と試行錯誤が切り離せない事を私たち大人は分かっていてあげたいものです。

 子ども自身が考えた行動を大人も興味を持って見守った時、子どもは自分への自信を取戻し、びっくりする程に内面的な成長を見せてくれます。そしてこのような心の後退と前進は行ったり来たりしつつ、螺旋階段を上るように子どもは成長していきます。小学校入学を前に「思いっきり楽しい時間」を過ごさせつつ、生活面での自立を促すために子ども自身が選べる衣類入れ・道具入れ・遊具入れなどを準備し、子ども自身に整理させる等を工夫する事が、小学校入学準備の第一歩ではないでしょうか。