目次
3歳前パートI 自己中心まっただなか
楽しく子育て24・25・26で書いてきた2歳児時代の特徴は、何と言ってもお世話をしてひたすらかわいがっていた赤ちゃん時代から一転したことです。子供自身の意志が芽生え、何をするにも自分の意志を主張し、なかなかお父さん・お母さんの思い通りにはいかなくなってきました。
朝の洋服の着替えに始まり、食事の食べ方、トイレトレーニング、お外に行きたくなればすぐさま出かけなければ大泣きをする。公園ではお友だちと遊具の取り合い、買い物に行けば「あれがほし〜ぃ!」とまたもやの大泣き。電車やバスも、乗った経験があるものは、思いつけばすぐにも「のりたぁ〜ぃ!」と大騒ぎ。
もちろん、お子さんの性格や日々の生活の仕方によって、お子さんの要求は様々ではありますが、生活のあらゆる場面で子ども自身の意志とこだわりが顕著になってきます。というのも、家庭生活の中で、子ども自身ができることはなるべく子どもにさせてあげているうちに、子どもの「自分でやってみたい!」という自発性が育ってきたからです。
育ち始めた自発性は、「自分は何でもできる!」という自己有能感へと発展しますが、その気持ちを家庭から一歩外に出たところで試してみたくなってきます。これが、この年齢特有の「ジコチュウ娘・息子」の大きな原因です。
とても良く見かける例は、3才前らしい子どもが、エレベーターのボタンを押したがる風景です。ある休日買い物に出かけた日のこと、荷物が重くてエレベーターに乗り込みました。私の後から元気の良い二人の兄弟が駆け込むように乗り込んできました。二人はすぐにボタンを押そうとしましたが、すぐに「だめだよ〜」という声と共に二人のお父さんが乗ってきました。5歳は過ぎているような、体の大きなお兄ちゃんはすぐに手を引っ込めていましたが、お父さんの操作でドアーがしまろうとしても、あどけなさの残る3歳前らしい男の子は、納得行かない様子でボタンをあちこちいじっていました。お父さんは小さな男の子から離れたところで「こら〜ぁ、いたずらしちゃ〜だめだよ」と、ちょっと怖い声で叱っていました。あまり効き目がなくその子がいじり続けたので、結局お父さんに手を取られてしまいました。男の子はとても恨めしそうにしていましが、大きな声で泣くこともありませんでした。
またあるときは、やはりかなりの速さで駆け込んできた3歳前らしい男の子がボタンを触ろうとすると、お母さんが「ここ、“開く”を押していてね、他の人が乗ってくるでしょう」と、男の子に正しい押し方を教えていました。男の子は入り口から入ってくる人たちを見ながら、とても得意そうにボタンを押していました。乗り込む人が終わるとお母さんは「はいではこっち」といいながら、“閉じる”のボタンを示してちゃんと男の子が“閉じる”を押すのを見守っていました。男の子もドアーの具合をちゃんと見ていて、一仕事が終わったような満足そうな表情でした。
エレベーターのボタン一つでドアーが開いたり閉まったりするというのは、3歳前の子供たちにしてみたら、なんとしても自分で試してみたいことに違いありません。ともすれば事故につながりかねない大人社会の道具をどの様に触らせるかは各ご家庭によって考え方もそれぞれでしょう。最初のケースのお父さんのように「いたずら」と捉えてその場を一喝する方法は、子どもの好奇心を摘んでしまいかねません。二つ目のケースのお母さんのように、面倒でも子どもの目線に付き合い、大人としては公共の乗り物としてのルールまで伝えられれば、子供にとっては大きな学習の場にもなるのではないでしょうか。他人の目を気にせず堂々とボタンを押させているお母さんの勇気には周囲の人達もなんとも微笑ましく見えたに違いありません。
この他にも、この時期のお子さんとの良くあるトラブルの一つで、洋服のコーディネートに関するものがあります。そろそろオムツもとれ、髪の毛も生えそろってきて、男の子も女の子も実に可愛らしくなってきます。育児の喜びの一つでもある、おしゃれのさせ甲斐が出てくる時期でもあります。しかし困ったことに、この時期の子どもは何といっても、その時々の自分の「思い」が強くあるので、突然のようにお母さんの決めた洋服を着たがらず、とんでもない組み合わせの洋服を取り出して「これを着る〜」と言い張ります。お母さん自身がコーディネートに大変こだわっておられる方は、お子さんの選んだ洋服がどうしても許せないようで、「毎朝大騒ぎでたいへん」とおっしゃる方もいます。他方あまり頓着のないお母さんは、お子さんの選んだ季節はずれのズボンをはかせてきて、「どうしても穿くってきかないので」と笑っています。お子さんの意志を尊重するなら、とんでもない組み合わせの洋服になっても、ちゃんと外に連れ出す勇気が必要になってくるかもしれません。
頑固な自己主張やこだわりが現れるこの時期は、大人にとってはとても大変な時期であり、「魔の二歳児」と俗にいわれる所以です。しかし子供の心の発達から見るなら、「自分でやれる」という気持ちを様々な形で試し、自分の力への信頼(=自信)を積み重ねている事の現れなのです。「三つ子の魂百までも」といわれるように、自己信頼感や自己有能感の形成は、その子の一生に影響する大切なプロセスですが、この時期の大人の対応方法でそれを助けることも阻むこともあることが分かります。大人が責任を持ち、一応は子どもの主張につき合ってあげつつ、その代わりに注意事項や社会のルールを丁寧に子どもに話してあげて欲しいと思います。また子ども自身が選べるように「こっちとそっちのどちらが良いの?」など、様々な工夫と知恵を働かせて方法を示せば、子供の自発性や意志を削ぐ事無く、社会のルールとの折り合いの付け方を教えてあげることができるでしょう。子ども自身に考える力が育ってきたことを喜びながら、この何とも厄介な“ジコチュウ娘・息子”ちゃんと楽しく付き合って欲しいと思います。
3歳前パートⅡ おともだち
2歳半から3才頃の間で、ほとんどの子どもはオムツを卒業します。お気に入りのキャラクターに熱中する時期が幸いして、パンツに移行したばかりの子どもはパンツの柄を自慢そうに見せてくれます。そして、自分と同じ柄のパンツをはいているお友達を見つけると「おなじ!!おなじ!!」と喜び合います。ついこの間までは、お友達が傍にいても、お友達ではなくその子が持っている遊具に気をとられるという事が続いていましたが、この時期に入ると、自分と同じような「おともだち」の存在に気がつき、惹かれはじめます。自我のめばえと共に、自分とは違う他人の存在に興味を持ちはじめた証拠ですが、まだ他人との関係を上手につくりきれないこの時期は、大人の関わり方が大きな意味を持ちます。
この時期までの子どもは、遊具など物を自分の力で動かすことで「自分には力があるのだ!何でもできるのだ!」といった物を支配することで自己有能感を感じていました。この感覚を身につけた子どもたちは、自分の力では動かすことの出来ないけれど、自分と同じ様に動いている「おともだち」の存在に気がつき、興味を持ちます。おともだちへの興味は、まずは、おともだちが持っている「もの」への興味として現れます。保育園の1歳児クラスでは、遊具が不足しないよう常に気をかけていても、同じ遊具がいくらあってもおともだちの持っているものが欲しくてたまりません。子どもが遊具をどうしても独り占めしてしまう時は、叱りつけるのではなく「おともだちの顔を見てごらん、貸して欲しい〜って言ってるでしょう?」とことばを添えながら、必ずお友達の表情を見せるようにして、子ども自身がおともだちの感情を読み取れるよう対応しています。
公園の砂場等でも、この時期の子どもは、別のおともだちが何をしているのか、気になって仕方がありません。そんなときでも、まわりの大人が黙りあっていると、大人に挟まれた子供同士がどうしてよいか分からず、活発な子どものほうが突然相手のお友だちをドーンと突き倒してしまう場面を見たことがあります。明らかに元気の良いお子さんはお友だちのことが気になり「おともだちになりたいよ〜」とでも思ったのでしょうか。言葉も見つからず、お母さんには叱られて、とても可愛そうでした。
それでも外遊びが大好きな子供たちは、トラブルにもめげずに公園通いをしているうちに、段々とおともだちの存在に気づいて会えるのを楽しみにするようにもなります。けれど公園の遊具などを譲りあって遊べるようになるにはまだまだです。この年齢では、子ども同士だけで仲良くなるのは大変難しいことです。子ども自身がどの様におともだちに近づいてよいか分らないのですから、お父さん・お母さんが是非おともだちの親御さんに話しかけて下さい。名前を教えてもらい、子ども同士を紹介しあって大人同士が会話を始めれば子どもたちはたちまち一緒に遊べるようになります。3歳前の子ども同士が共に過ごすと、すぐに喧嘩にはなってしまうかもしれませんが、一人っ子のお子さんには、大変貴重な経験になると思います。
そして少し大きなお兄ちゃん・おねえちゃんに遊んで貰う機会があったら、それはさらに嬉しい時間になります。保育園では3歳前の2歳台の子どもが過ごす1歳児クラスには、秋頃から毎日、5歳児のお兄さん・お姉さんが遊びに来てくれる習慣になっています。5歳児の子ども達はどの子も皆小さなお友達の相手をしてくれるわけではありませんが、様々な良い影響関係が見られます。小さい子の方では、お兄さん・お姉さんが自分達の遊具で遊び始めても、「触っちゃだめ!!」とは決して言わないところが何とも可愛いく、お兄さん・お姉さんには一目置いている様子が分かります。遊び方をじっと見ては、後で真似をして同じように遊んでいるとか、たくさんのことを学んでいるようです。そして少しづつ、同年齢のお友達との接し方をも学んでいるのでしょう。
各ご家庭でも、ご近所には遊びに来てくれそうなお兄さん・おねえさんはいませんか?喜んで遊んでもらえるかもしれませんし、お母さんとお友達が話す言葉にも興味を持つかもしれません。お母さんは「自分の子どもの世話で精一杯!!」とお思いかも知れませんが、遊んでもらえるとお子さんもいつもとは違った姿を見せて、ほっとした気持ちになれるかもしれません。お母さん自身も、子どもにも色々なタイプの子どもがいるということを知るのも今後のためには大いに必要なことではないでしょうか?
自我が育ってきた子どもが、目を輝かせて他の子どもに近づいて行く様子を見るたびに、人間が「社会的動物」であることを実感させられます。「おともだち」との時間は、親や大人では与える事のできない、「人間力」の基礎を育む貴重な時間なのです。個人がますます孤立して、他人に干渉しないことをよしとする現代社会では、大人同士が見知らぬ人とのコミュニケーションを疎んじる現状があります。それでも、お子さんの行動範囲を広げてあげたり、かけがえのない体験をさせてあげられるかどうかは、大人のコミュニケーションの技量にかかっています。大人たちが、子どもたちに色々な個性を持つお友達をたくさん作ってあげるよう奮起すれば、日頃の自分の消極性を見直す機会にもなり、子育てを通じた大人としての成長の機会ともなります。子どもの社会性の芽生えを大人の「育ち直し」の機会ととらえて、子どもを中心とした楽しい人の輪を広げていってほしいと思います。
3歳前パートⅢ 赤ちゃんがえり
3歳が近づいてくると、下の子どもが生まれてお兄ちゃん・お姉ちゃんになるお子さんが多く居ることでしょう。兄弟・姉妹ができると、ご家庭では“兄弟げんか”といった新たな課題で頭を悩まされます。また、年下の子どもと過ごした3歳前の幼児に、「赤ちゃんがえり」の現象が起こる事があります。大人にとっては、これまでにない新しい難問が起こる時期です。
まず兄弟・姉妹のけんかですが、10歳近く年が離れた兄弟・姉妹でもけんかするそうですから、けんかするのはあたりまえと考えていた方が良いようです。そしてけんかをすれば必ず“なかなおり”をしなければならず、むしろそのプロセスこそが大切です。兄弟・姉妹のいるお子さんは、けんかをした後の“なかなおり”の仕方が上手になることからも、人間関係の訓練として必要不可欠なことと思えます。
家庭内や保育園での子供同士のけんかについて私達大人が気をつけなくてはいけないことは、どちらかを悪者にする考え方です。私達の保育園では「けんかはしてはいけないもの」という考え方ではなく、けんかをしたときに「顔や体の大切なところを傷つけるのはいけない」と教えるようにしています。実際には言葉の出ない3歳位まではひっかく・かみつく等相手を傷つけてしまうことが多いのですが、必ずその度に本人がどうしたかったかを聞き出し、「〇〇と言おうね」と言葉を添えるようにしています。そして何より気をつけていることは、かみつき・ひっかきなどが続くお子さんの心の状態がどのようになっているかを考えることです。「そのお子さんの心に何か大きなストレスはないか?」と考えてあげると、案外なぞは解けるのです。
例えば一人っ子のお子さんでも、この時期に何かと生活上のストレスが起こってくることがあります。歩行を開始して以来、お父さんお母さんに抱かれることが少なくなり、もしかしたら「○○しなさい〜」といった命令の言葉が俄然多くなっていないでしょうか?お子さんが何となくいらいらすることもあるでしょう。
また一番大きな、分かりやすい理由に、下にお子さんができてお母さんの手がとられてしまうといったケースがあります。お母さんにしてみれば、何かにつけて「いや〜、じぶんで〜」とあまり上手にはできないことでもやりたがる厄介なお兄ちゃん・お姉ちゃんに比べて、赤ちゃんの方を可愛く感じてしまいがちです。世話をする時間も圧倒的に長く、多分お母さんが赤ちゃんをあやす何とも優しい横顔を見て、「おかあさんはあかちゃんのほうがすきなのだ、じぶんはだいじにされていない」と不安・ストレスがたまり始めるのでしょう。保育園に通っている子どもであれば接触の多いお友達に対していらいらするし、ご家庭で過ごしているお子さんはお母さんや赤ちゃんに対して、また公園や近所のお友達に対して、楽しい関係がつくりにくくなります。
この難しい状況を楽しく乗り切るためには、赤ちゃんのお世話を最小限にして、出来るだけ上の子のペースを大切に考えてあげることです。気にかかって仕方のない赤ちゃんのことを、上の子の目線で話してあげると、その子の心は安定してきます。たとえば3歳前のお兄ちゃん、お姉ちゃんは、何でもお世話をしたがり危なっかしく、赤ちゃんと同じ哺乳瓶でミルクを飲みたい等と言います。そのとき、「お兄ちゃんのくせにおかしい・おねえちゃんなのに恥ずかしい」等と否定的なことを言わずに、是非言う通りに飲ませてあげてください。子どもにとって、「おかあさんはじぶんのことを、あかちゃんとおなじようにしてくれた」という安心感が生まれ、ずっと落ち着いてくれます。
3歳前のこの時期のお子さんを連れて、お友達の家に遊びに行かれたお母さんのお話があります。お友達の家には半年ぐらいの赤ちゃんがいて、お母さんは久しぶりに赤ちゃんを見て、とても可愛いと思ったそうです。そして自分の子どもがいたずらばかりする困った子どもに思えたそうです。家に帰って翌日ぐらいから、そのお子さんは寝転んで「うまうま」と赤ちゃんのような声を出すようになって、そのお母さんはびっくりして、保育園に相談に来ました。そのお子さんは赤ちゃんになればお母さんがとても優しい声を出してくれると気づいたのだと思い、「赤ちゃんがえりと言うのですよ」と話すと、そのお母さんはとてもびっくりしていました。お子さんがそのように自分のことを見ているという事、子供が赤ちゃんのように可愛がって貰いたいと思っている事を知ると、「子どもの感受性って、私が考えている以上にデリケートなのですね」と話しておられました.
自分のストレスをストレートに表現できるという意味で、赤ちゃんがえりの方法を見つけられたお子さんはとてもラッキーだと思います。大人側は、けんかやいたずらとして現れるストレスのサインを見逃さず、それをきっかけに人間的に成長できるように配慮してあげることが、大切だと思います。また親自身にとっても、3歳前の子どもと付き合う事は、簡単なことではありません。実のお子さんであっても、気性や感性は全然似ていないこともありますし、時には苦手な相性というものもあって当然だと思います。このことを母親一人で抱え込まず、できたらお父さんや親戚の人、保育園などを是非頼ってください。特に保育園のようにたくさんの大人がいる所では、思いがけずに気性の合う職員と出会うものです。そうした関係からお子さんの可愛らしい面が開発され、お母さんとの関係がとても良くなったというケースもあります。子育てにはやはり多くの人間関係が必要です。人に頼る事も簡単ではありませんが、保育園を含めて「頼れる保育仲間」を増やすよう努める事も、親として成長するきっかけとなるはずです。
3歳過ぎ こどもの世界が広がる
3歳を過ぎると、子どもたちの個性はますますはっきりとしてきます。この年齢になると、すでに保育園に入園している・いよいよ幼稚園の年少クラスに入園する・そして地域の子育てサークルなどでお友達と遊んでいるなど、子ども自身の体験が大きく広がることも関係しているでしょう。さらに兄弟・姉妹関係の有無によっても、言葉の発達などに個々の子どもの違いが現れます。個性がはっきりしてきた三歳過ぎの子どもたちには、他の子どもたちとの世界が開けますが、子ども同士のトラブルも増えるので、子育てをする大人にとっては、新たな難しさが生じる時期です。
保育園でお兄さん・お姉さんのいるお子さんが達者にことばを駆使してけんかをしている姿はよく見かけることです。けれど、それまでご家庭で過ごしていたお子さんが幼稚園に通い始めて「急に悪い言葉を使い出して困った」と嘆かれるお母さんが少なくありません。幼稚園にもお兄さん・お姉さんの真似をして得意そうに乱暴なことばを使っているお友達がいるのでしょう。そんなとき、頭ごなしに叱らないで欲しいと思います。この時期の子どもには、恥ずかしさの感情が育ち始めていて、大人が思う以上に子どもの心は傷つきます。大人の方が何もなかったように無反応でいると、いつの間にか悪い言葉も使わなくなるものです。また、目くじらを立てて「あの子は乱暴な言葉を使うから遊んではいけません」などと、お友達を悪く言うこともしないで欲しいと思います。一過的な事ですから、おおらかに見守ってください。
年上の子から覚えた乱暴な言葉を達者に使う子がいる一方で、まだまだ発音もはっきりせず、お母さんの通訳が必要な子どももいます。発音がはっきりしない子どもの場合も、子どもの気持ちを傷つけない言い方で周囲の大人が正しく言い直してあげる事が必要です。この時期の子どもの言い間違えは実に可愛らしく何度も言わせたくなるものですが、間違った言い方はさり気なく正しく言い替えてあげないと、お子さん自身正しい言葉を覚えるチャンスを逸してしまいます。そうなると、もう少し大きくなったときに、本人がお友達に伝わりにくいと感じて、家以外言葉を発さなくなってしまい、お友だちとの関係が結びにくくなってしまうこともあります。
いずれにせよ、この年齢の子どもたちの言葉の獲得には、まだまだ私達大人の配慮が必要です。子どもの心を育てるような言葉の育ちを配慮して付き合って欲しいと思います。3歳を過ぎるとそれぞれの子どもの特徴が目立ち、「うちの子は○ちゃんと比べて遅れているのではないか?」と心配されるお父さん・お母さんがいますが、子どもの個人差・個性の違いをひとつひとつ発達の遅れといった見方で話さないことが大切です。子ども自身も、大人たちのそうしたことばを聞き、自分とお友だちの違いをマイナスとして受け止めてしまうからです。
言葉ばかりでなく「こころ」の発達についても、この時期の子どもは大人を戸惑わせます。ある日突然、毎日通っていた場所(保育園・幼稚園・公園など)に「いきたくない〜、ママがいい〜」と大泣きすることがあります。びっくりしたお父さん・お母さんは「保育園・幼稚園で何かあったのかしら?公園のあの子がきっと嫌なのね」等と、目に見えるものに原因を見つけようとします。けれどこれはむしろ、子どもの想像力が育って来たため、親と離れた場面を想像して不安感が生じた結果です。この時期のお友だちとの遊びは、想像力を働かせとてもユニークな展開を見せるようになったり、一人で遊びにも没頭できるようになるので、子どもが親と離れることが多くなります。同時に、「離れてしまったらどうなる?」ということを想像できるようにもなるので、不安にかられると突然に「ママがいい〜、ママじゃなきゃだめ〜」と泣き出したりします。このような時はあまり無理をせずに、外遊びなどは休みましょう。保育園や幼稚園に通っている場合は担任の先生にお子さんの状態をきちんと説明し、しっかり抱きとってもらうことです。自分のことをしっかり抱きしめてくれる大人がいるという事を知ると、泣いて母親から離れることを不安がっていたこともいつの間にかけろっと忘れ、また一段と成長した姿を見せます。
私達は3歳前後の「分離不安」を、「大きく成長する前の通過儀礼のようなもの」と考えています。子どもの心に今までよりずっと大きな世界が見えてきた心の成長の現われと考えれば、むしろ喜ぶべきことなのです。ついこの間まで「じぶんで〜じぶんで〜」と何でも自分でやりたがり、欲しいものはとことん欲しがり自己中心的だった子どもが、いつの間に生活の中での秩序に気づき始め、自分の思い通りにいかないこともがたくさんあるということに気づき始めるのが、この時期です。何かに強くこだわったかと思うと、突然のように赤ちゃんがえりの症状を見せるのですから、親たちににとっては、まだまだ苦労が多いですね。
3歳児の前半は、自立と甘えを繰り返し螺旋階段を上るように成長していくというのが大きな特徴です。またこの時期、家庭だけでは体験できないお友達との葛藤を多く経験します。会えばけんかばかりしても翌日にはまたけろっとして遊び出す、子どもにとってのけんかは根にもつことは決してありません。良く見ていると仲の良い子同士ほどけんかをするのです。こうした心の葛藤をたくさん経験していくうちに、子どもはけんかをしないで遊ぶ方法(協調性)を考え、社会性の芽が育ち始めます。将来社会の中で、たくさんの人々と関っていくだろう人間力の基礎が育つことを考え、この時期に特有のお友達とのトラブル、お子さん自身の極端な甘えなどを鬱陶しがらずに、心広く暖かく受け止めてあげて下さいね。
3歳過ぎパートⅡ 大人の話が聴ける子に
2歳台の頃、「明日ミニカーを買いにいこうね」などと言おうものなら、「いまいく〜」と大泣きになり、めったに誘いかけのことばは言えなかった時期が続きました。けれど3歳を過ぎると、「明日」は今すぐではないと言うことが分かるようになり「明日」を何とか待てるようになります。大人がどこかに行こう、といった事を必ず近い日程で実現させてあげることで、子どもは言葉を信頼できて、大人と交わす「こんど〜へいこうね」という会話そのものも楽しめるようになります。何度かの楽しい経験によって、起こる事を想像できるようになるのでしょう。「こんど〜へいったら〜をする!」とじぶんの予定までことばにできるようになり、言い出したらすぐに行きたがり、泣き叫んでいた2歳の頃を思い出すと本当に成長したものです。
3歳を過ぎた子どもの大きな変化により、大人は子どもとの会話が楽しくなってきます。自分の言いたいこと、感じたことを一方的に話すだけだった2歳台とは大きな違いです。これは、子どもの話すことばを大人が丁寧に受け止めてあげていたからこそともいえますし、子ども自身、時間の流れや物事の序列のようなことが分かり始め、それにのっとって想像する力も大きく育っているからでもあります。言葉によって「考える力」が芽生えはじめたこの段階の子どもと楽しく、上手につきあうには、大人の側に今までにはなかった心構えが必要です。忍耐づよく子どもに語りかけ共に行為して、子ども自身の思考の育ちを見守る事と、甘えながら自立に向かう子どものペースを理解してやることです。
生活の見通しができてくると、例えば外遊びからの帰り道、「おうちに帰ったら、おててをきれいに洗おうね〜」等の声かけをしてみましょう。子どもは「なんでおててあらうの?」と質問してくるかもしれません。そうしたらしめたものです。ゆっくりと「きたないおててには、ばいきんちゃんがいっぱい」といったお話をしてあげて下さい。「ばいきんちゃんがおなかの中に入ると、おなかがいたいいたいになるよ」などの因果関係は十分に子どもが理解できることです。自分のこれまでの経験で手洗いとおなかが痛くなる関係が、実際の外遊び=泥んこといった経験とつながって理解できるようになり、より広い因果関係を考える素地ができます。行為の意味についての理解が加わった子どもは、外から帰っての手洗い・うがいに、水をいじる楽しさも加わって実に楽しそうに取り組みます。
この時期、遊び半分が加わることは大目にみてあげましょう。この時に、手の洗い方・うがいの仕方などを口うるさくしつけようとすると、子どもはこの時間がとても苦痛になってきます。帰ったら手洗い・うがいという順序は理解できても、うるさく注意されていると、その時の嫌な気持も予測できるので、嫌な事は、段々とやりたがらなくなっていきます。大人が強い口調で叱りでもすればたちまち子どもと大人の間での悪循環が生じます。まだまだこの時期の生活習慣は楽しみながら進めることが大前提です。子どものペースを見ながら徐々に生活習慣を身につけさせていくには、手洗い・うがいを傍らで大人も共にしっかりとやって「あ〜さっぱりした。きもちいい」などとことばにしてみせることもが大切です。大人が口でうるさく言って聞かせたことより、やって見せたことの方がはるかに身につくものなのです。子どもには言うだけ言って、大人が実際にはやっていなければ、子どもはたちまちそれを見抜き、せっかくの良い生活習慣も、身にはつかなくなってしまいます。
また当然のことですが、子ども自身の体調や気分によって、前の日まで積極的に取り組んでいたことも「できない〜、やって〜」と急に甘えた口調になることがあります。頑張りすぎてくたびれてしまったかな?ぐらいに 考えて、「明日からはじぶんでやろうね」と手伝ってあげて、子どもの気持ちを察してあげてください。大人の言うこともほどほど理解し、生活の流れも予測できるようになった子供に「しつけ開始!」とばかりに張り切りすぎることは、子どもに対し逆効果です。甘えと自立を行ったり来たりしながら、段々に成長しているのですから、甘えたいときは、まだまだ甘えさせてあげてください。そして子供がやろうとしていることが未熟ではらはらしてもぐっとこらえて見守ってあげてください。子供のしようとしている事に、手や口出しをするいわゆる過干渉は、子どものやろうとする気持を傷つけます。多少未熟であっても、自分でやろうとすることを大いに褒めてあげることが大切です。
この時期の子どもの自立度は確かに未熟ではあるのですが、大人のことばをかなり理解できるようになっています。丁寧にゆっくりお話してあげることによって子どもは多くを理解できるものです。感情的に叱りつけることだけは避け、丁寧に根気良くお話しする習慣をつけることで、子どもは人の話を聴ける人に育ちます。「ただひたすら守る」ことが大切に思えた赤ちゃん時代は終わり、一人の人間として歩き考える子どもを支え応援する時期が始まりました。自立しきらない存在を尊重しつつ甘えさせる勘所をつかむのは簡単ではなく、見守る側の忍耐も試されます。それでも、可愛くも頼もしく成長した我が子に助けられて、自分も共に成長し世界を発見し直せる素敵な時間がやってきたのです。言葉をつかいはじめた「小さな思考者」との会話や驚きに満ちた毎日の生活を、是非一緒に楽しんで欲しいと思います。
3歳過ぎパートⅢ 力がついてくる
3歳を過ぎた子どもに久しぶりに会って驚くことは、体つきがしっかりとして、少し前の危なげに歩く姿がすっかり消えていることです。オムツが外れて身軽になった子どもは、走る・跳ぶ・潜る・登るなどの動きが活発になってきます。身体を自在に動かすことが脳の発達にも大きな影響を与えているのでしょう、子どもなりに考える力も成長し始めている事がその表情から見て取れます。(私たち老人の足腰が弱り物忘れがひどくなるのとは正反対ですが、歩行と脳との関連はとても大きいことが分かります)。
2歳代から続いてきた自己中心的な主張に添い、「子どもにとっての当然の欲求」である、「子どものしたいこと」をできるだけ実現させてあげるという大人たちの苦労の結果、3歳を過ぎた子供たちは、思い通りにならないもどかしげな様子や癇癪も随分と少なくなってきます。自分の思い通りに動いている時の表情は、自信に満ちた笑顔が多く見られるようになります。保育界のリーダー的存在の、ある園長さんがご自身の著書の中で、「子どもは3歳になるまで随分と不自由で思い通りにならない苛立ちを抱えていたのではないか?」といったことを書いておられましたが、私も3歳を過ぎた年令の子供たちを見ていると、「3歳までのトンネルを抜けてきた」と言った表現がぴったりすると思っていました。
そうは言っても、子供たちを取り巻く私達大人の生活は忙しく困難の連続で、心も身体もパワーアップしたこの年齢の子どもに応じた欲求を充分に満たしきることは大変なことです。例えば、保育園にはご家庭では見かけない遊具もいくつか置いてあって、たまたま夕方のお迎えの時間にその遊具で遊んでいたりすると、なかなか家に帰ろうとしませんが、とくにこの年齢のお子さん達に多いようです。遊園地などで100円を入れると動く乗り物や動物に何度でも乗りたがり、「一体どうしたらおしまいにできるかしら?」と困った経験がおありでしょうが、それとよく似ています。
また、デパートなどで良く見かけるのが、遊具売り場でなかなか遊具から離れないお子さんに対し、「おいていくよ~」と言って実際に歩き出そうとしているお父さんお母さんの姿です。どなたも大切なお子さんを置いていくはずはないことですが、その言葉であわてて遊具をしまおうとしていたお子さんも、3歳を過ぎてくる頃には、「ぼくを置いていくはずがない」と気づいて、そうした声かけには動こうとしなくなります。子どもの知恵も大したもので、わたし達大人の口癖はすっかり見抜いてしまいます。他にも、お父さん・お母さんのお迎えに気づいた途端、自分の保育室から飛び出し、あちこちの部屋を走り回るお友達がいます。このお子さんも、自分の部屋以外に魅力的な場所を知ってそれをお父さんお母さんに知らせたくて走っていく姿から、3歳を過ぎた子ども達は、随分とその生活範囲や子ども自身の関心が広がって、子どもの力がついてきていること感心させられます。
子どもが自分の好きな遊びを何度も繰り返ししたがる理由として、「この楽しさを何度も味わいたい」という欲求がとても大きいことは確かです。と同時に「面白いのはどうしてだろう?」と子ども自身考える力がついて来たことにより、その理由を探りつつ遊んでいる姿に気づかされます。だからお父さん・お母さんが迎えに来ると、「大好きなお父さん・お母さんにこの面白さを分かってもらいたい。一緒に遊びたい。」という気持ちで、なかなか帰ろうとしないのです。
あるお母さんが「おうちが嫌いなのかしら?」と心配されていましたが、「ほんの少しお子さんと付き合ってあげて」とお願いして、それを続けられているうちに、いつの間にか「帰りたくない!」は解消されていきました。その母子の様子を見ていると、お母さんは、「ここはどうなっているの?」とか「これおもしろいね~」など子どもさんと一緒に遊具に触れ、子どもの気持ちに添って話しかけていました。そして子どもに上手に質問しているうちに、子ども自身も遊具のからくりを見つけることが出来たらしく、それまでの遊具への執着が解消され、案外短い時間でお母さんと帰宅できるようになりました。
忙しいお父さんお母さんには「せっかく迎に来たのに~」と困っておられますが、お子さんに自分で行きたいところが出来てきた、「随分力がついてきたものだ!」と喜んで頂きたいと、そうした光景を目にするたびに思うのです。「もう帰っちゃうよ」は一見有効な手段に思えますが、言葉だけの「脅し」が効く期間は短いものです。それに対して、上述のお母さんのように、一緒に試行錯誤に参加して見守る方法は遠回りに見えますが、実は一番の成長への近道です。心も身体も自立に向かって大きく成長しつつある3歳からの「わがまま」の一番の対処法は、この「小さな博士」の精一杯の発見や工夫を一緒に驚き、楽しんでしまう事ではないでしょうか。夕暮れの一時に、仕事を忘れて子どもと一緒に驚き笑ってみれば、固くなった大人の頭も柔らかくなり、退屈な送り迎えも大人の小さな悩みも、子どものおかげで輝いて見えるかもしれません。
3歳半~4歳パートI 心と体のバランス
3歳半を過ぎると子ども自身の世界はとても広がってきます。保育園・幼稚園の2歳児クラスに通う子、子育てサークルや一時保育に通う子など、お友達と遊ぶ機会はますます多くなっている事でしょう。他人への興味や身体能力が大きく発達してくるこの時期ですが、想像力という点では、「おとぎの世界」と現実の世界の境界線が作れないという特徴があります。どうしても次の行動に誘いたい時、お気にいりのキャラクターにならせてみると成功することがありますが、なかなか毎回というわけにはいきません。結果を予測したり自己制御したりする能力や身体をコントロールする「心」が未発達なので、心と体のアンバランスや葛藤が多く起こる時期でもあります。この年齢の子どもの問題を、「体」の問題から考えてみたいと思います。
走ったり登ったりする力がぐんぐんついてくるこの時期、元気の良い子どもは休日家でじっとしていられないので、家族でのお出かけがとても多くなっているのではないでしょうか? 他方で、この時期に弟妹が生まれたご家庭では、休日とは言っても家族でのお出かけはとても無理なことだと思います。力がついて元気一杯の子どもが家の中で過ごさなければならないとしたら、どうなるでしょう? おそらく、エネルギーを室内でいたずらとして発散するか、エネルギーを自分に向けるか、どちらかです。
私の長女には、1歳5ヶ月違いで妹が生まれました。よくよく考えると長女は3歳過ぎに保育園に入れるまで、外遊びに連れ出す機会がほとんどありませんでした。下の妹と遊ぶ時間が多く、近所のお友達と遊ぶ機会など全くといってありませんでした。元気で活発な長女は、当然家の中でお転婆ぶりを発揮していました。保育園に入所すると、クラス内でも元気一杯のいたずら娘で、ずいぶんと担当の先生をてこずらせていました。いたずらして、お友達と一緒に倉庫にいれられることがたびたびあることを知り、他のお母さん達と一緒に「倉庫に入れることだけはやめて欲しい」と抗議しました。娘の元気を否定的に見られることだけは納得できなかったのですが、娘のいたずらにも、上記のような大人の事情による正当な理由があったからだと思います。「好奇心をもって動き回ると叱られていたので、友達との関わりはとても下手だったと思う」長じて娘は話しています。
私の娘のように何としても自分のエネルギーを発散しようとするタイプと正反対に、家の事情でどうしても外遊びに出られないお子さんが、家の中で静かに過ごしているケースも少なくありません。そうしたお子さんはあまり刺激を受けずに生活することにより、お友だちとの関係に関心を持たなく育ちます。そして子どものエネルギーが発散できないことで内に向かい、爪かみ・性器に触れ続けるなど、ちょっと心配な症状が現れます。そのような症状を叱られることは子どもにとって最もつらいことで、叱られてやめられるものではありません。それより何とか1日のうちの何時間を戸外に連れ出し外遊びをすることが特効薬になります。しばらくお友だちと外遊びをしているうちにいつの間にか子どもの気になる行為は消えていきます。私達のように、都会で保育を行っているものとしては、子どもたちの運動量を増やすことがとても大きな課題と考えています。
3歳過ぎから4歳児に向かう子どもの心身のアンバランスは、休み明けに「おなかがいたい」「あしがいたい」「ほいくえんにいきたくない」といってお父さん・お母さんを困らせるかたちで現れたりします。「昨日まであんなに元気だったのに」と半信半疑で20分位体を横にしておなかをさすっているとケロッとしてすぐにはしゃぎ始めます。「仮病だったのかしら?」と思ってしまいがちですが、子どもには体や心の不調を訴えているのです。この年齢の子供は、力がついてきているとはいっても、自身の好奇心が勝り体力はまだ充分ではありません。お休みの日思いっきり楽しく遊んだあと、「からだがだるい、疲れた」と感じても表現ができず、全ての不調を「おなかがいたい」と表現するのです。保育園でもこの年齢の子どもが度々「おなかが痛い」といってナースルームで寝ていますが、その場合はさりげなく、でも優しく手当てしてあげることが肝心です。
運動が足りなければ大人が困るほどの暴れん坊やお転婆ちゃんになるし、大人しいからといって一人遊びだけをさせておけば、将来お友達との交流が苦手になっていきます。自分を取り巻く世界が開け、好奇心に満ち溢れる時期ですが、心と体のコントロールがまだまだ難しいことを理解しつつ、楽しいことをたくさん体験させてあげて欲しいと思います。同時に、ほんの少しづつ子ども自身が我慢することを学ばせましょう。また、お友達とのけんか等に大人として丁寧に対応し、わが子がお友だちをたたいたりした時は、親として謝る姿を見せるという形で教えつつ、子ども同士の遊ぶ姿を見守りたいものです。
3歳半~4歳パートⅡ 絵本読みを楽しく
4歳近くなると、各ご家庭の生活の中で決まった時間に絵本を読んで貰っているお子さんは少なくありません。私達の保育園でも0歳児の後半からは、午睡前の決まった時間に2~3冊の絵本を読んでもらっていて、4歳前のこの時期には大半の子どもたちは絵本が大好きになっています。私たちが絵本読みを大切に毎日に行うのは、絵本の世界に親しむことに大変重要な意味があると考えているからです。
この年令の子どもは、現実の世界では好奇心に満ち溢れ自分の力で行ってみたいところ、見てみたいものがたくさん出てきています。けれど体力的には自分の体より大きい存在にはかなわないということ、自分の力だけでは行けない世界があることもわかり始めてきます。その点絵本という「おとぎの世界」では主人公がワルモノをやっつけたり、夢のような美しい世界への冒険にも連れて行ってくれて、現実の世界の束縛や危険なしに好奇心を満たすことができます。安全に冒険したり新しいことを体験できる世界が、絵本の世界なのです。
とはいえ、「おとぎの世界」は子どもにとって魅力的である反面、やはり未知のものにある「怖さ」はついてまわります。この年齢の自分は非力なので、「こわいものはこわい」のです。ですからお話をしてくれる大人が誰であってもよいという訳ではありません。絵本を読んでくれる人は子どもにとっておはなしの世界に連れて行ってくれる案内人でもあるのです。この役には子どもから大きな信頼を得ていることが必要ですから、私たちの様な保育者やお父さん・お母さん・おじいちゃん・おばあちゃんが最適任者ということになります。
絵本は私たち大人が読んであげることにより、初めて生きた物語として成立します。現実の肉体をもった信頼する大人が、大好きなやさしい声で読んでくれることで、ストーリーが共有され、生きたものとして体験されるからです。そして子どもにとって大好きな大人が自分のために読んでくれる時間こそ、大人の愛を直接感じ取る貴重な時間です。子どもたちは読み手の声が全て自分に向けられていると感じます。その声を心地よく感じ、読み手の大人がもたらすお伽の世界に愕き、喜びと共にその大人からの愛を感じ取ります。
しかし、真剣に絵本を見て、お話を聞き入っている子どもの前で、私たち大人についつい力が入ってしまうと、せっかくの絵本の時間が、大嫌いな時間になりかねません。「字を覚えさせよう」「絵本のなかで言っている知識を確認しよう」などと考えて、絵本を読む度に「なんていっていた?」「最後はどうなったの?」など子どもに質問攻めの読み方は、子どもが絵本嫌いになるのでやめて貰いたい事の一つです。また絵本を読んでいる最中に質問してくる子どもに「黙って聞きなさい!」と叱りつけるのも子どもにとっては不満でしょう。保育園でもよく質問してくる子どもが居ますが、一旦止めて答える場合もありますし、あとで答えることもあります。子どもが質問する位真剣に見ている事を念頭におきつつ、話の世界に入り込む助けに徹することが大切だと思います。
絵本を読むことが「知識を与えること」「教育的なもの与えよう」になってしまうと、4歳前の年齢になると、もう絵本を嫌う子どもになってしまいます。絵本は、目先の知識の習得ではなく、今後広い世界を知る好奇心を養う基盤として一層重要なので、細かい情報伝達にこだわらず、子どもの好きなものをきっかけに物語の世界を共有することを大切にしてほしいと思います。その意味では、キャラクターや漫画のような視覚中心の絵本であっても、一緒に楽しめる世界があれば、否定することはありません。大人の基準で選んだ「良質の絵本」だけを押し付けず、それぞれの子どもの興味を大切にしてあげて下さい。
絵本を大好きになった子どもに、毎日絵本を読んでとせがまれたとしても、絵本読みの時間を各ご家庭で作ることはとても大変なことと思います。お忙しいお父さんお母さんにとっては、時間がとられる絵本より、テレビやDVDを観ていてくれれば「子どもが静かにしていてくれて助かる」とお思いになるかもしれず、その気持ちも良くわかります。 テレビやDVDも、時間を決めて子どもと一緒に観ることにより、子どもの心(驚き・楽しさ・悲しさ)の動きを感じ取り共有できるとても楽しい時間にすることができます。けれど、子どもを放っておく手段としてテレビやDVDを利用することは、やはりお勧めできません。
ある子どもが、DVDなどを一人で見ることがいかに寂しく怖いことかを私に語ってくれたことがありました。5歳になっていた男の子でしたが、「もののけひめ」のDVDを観ていたらいつの間にお母さんが寝てしまって、一人で終わりまで見たそうです。「とってもこわかった!」と言い、DVDを借りてきたお店まで怖くなってしまったらしく、そこまでの道を詳しく話し、どんなに怖いかを私に話していました。また、子ども時代にテレビやDVDを長時間観ていたある人が、子ども時代を振り返って「内容はすっかり忘れたけれど、とに角寂しかったことだけは覚えている」と語ってくれたことがありました。わたし達大人はこのことをきちんと受け止める必要があると思います。
大人がいないと成立しない絵本には、テレビなどが陥りがちな危険もなく、多くの独自の良さがあります。まずどこにでも持って行けますし、大人まで繰り返し一緒に楽しめます。そうは言っても、新しい絵本を全部本屋さんで買ってくることは大変なことでしょうし、何を読むべきかも悩ましいところです。そんな時は、まず自分の自治体も図書館を利用してみましょう。多くのところが整備されていて、たくさんの新刊が並んでいます。また古くなった絵本を専門に売っているお店もありますし、日曜日などに開かれているフリーマーケットで大きくなったお子さんの絵本を格安で売っていることもあります。
子ども達に絵本を読んであげる時、「もっと驚かせてあげよう」「もっと面白がらせてあげよう」と思うと、読み手のわたし達自身の心が躍り、何にも変え難いすばらしい時間になるはずです。子どものかわいらしい驚きや笑い声を経験をされると、午睡や夜の入眠前の絵本読みは大人にとっても楽しい時間になるでしょう。絵本を通じて楽しい時間を過ごした子どもは、何より絵本を読んでもらいたくて、率先してお布団に入ってくれるようになるかもしれません。そうなればしめたもの、いつの間にか絵本がお子さんの生活リズムを整えてくれる必需品となることでしょう。絵本読みは面倒なことに思えますが、絵本の「おとぎの世界」を一緒に楽しめる時間も、子どもからのプレゼントです。どうか大切に楽しんで頂きたいと思います。
3歳半~4歳パートⅢ 大好きな友だちと・・
楽しく子育て「3歳前パートⅡ おともだち」では「お友達の存在に気づき、お友達のすることが気になって仕方がない」ということを書きました。3才前頃から子どもたちは保育園・幼稚園・そして兄弟や親戚のいとこ達といった子ども同士で過ごす時間がとても多くなってきました。この一年間に「お友だちと遊びたい、でもすぐにけんかをしてしまう」という繰り返しで、お母さん同士は本当に気疲れの多い1年間だったと思います。自己中心期のこの時期の子どもの気持ちを解説した本はかなり多方面から出版されています。それだけ育児の大きな山を越す程の大変な一年間であったと思います。他方、この一年間「遊びたい、でもすぐにけんかになっちゃう」という葛藤を大人同士から見守られた子供たちは、当然1年前の姿からは大きく成長していることが分かります。
この間に各ご家庭では、お子さん連れのお出かけもずいぶんと増えたことでしょう。そうした体験の中でお子さんは世の中のたくさんの人に触れたはずです。新たな経験の中で注意され、叱られもしたことでしょう。子どもなりに新たな経験ばかりの中で、「どうして?」といった質問を多くしてきたはずです。それらに丁寧に答えつつ、日々のお友達とのじゃれ合いや張り合いを多くの大人から見守られていれば、子どもも事柄によっては大人の言うことを聞き分けることが出来る年齢になりつつあります。
けれど、今までは家庭で過ごし、ほとんど大人が遊び相手だった子どもさんが、保育園の3歳児クラス、幼稚園の年少クラスに入園する場合は、猛スピードで子供同士のやりとりの機微を学ぶ機会であり、お友達との触れ合いから相当な葛藤が予測されます。このような場合は、本当に大変なことを体験するので、幼稚園や保育園の先生方と充分に相談しつつお子さんを見守ってください。
この時期の子どもたちを見ていて、「毎日のようにけんかばかりしているのに、どうして○ちゃんとばかり遊ぶのかしら?」ととても不思議がるお母さんがおられます。子どもの場合は私たち大人がするけんかとは違って、いつも良く遊ぶ子供同士ほど本当に良くぶつかります。保育園で気をつけていることは、私たち大人がけんかをむやみに止めないこと、そして何故けんかになったかを双方から良く聞いてあげることです。
こうして保育園や幼稚園などでの集団生活は、子どもたちにとっての貴重な体験の連続です。そんな子どもさんが家に帰れば当然甘え駄々をこねるので、お父さん・お母さんの集団生活へのご心配も多いことでしょう。けれど決してお子さんの今の体験を苦労と考え「かわいそう!」などとは思わないで下さい。この時期のさまざまな生きた体験は、子どもたちの大切な生きる力の源になっていくのです。この時期から4歳児クラス時代にたくさんの葛藤を経験したお子さんほど、年長さんになってからびっくりする位優しいお兄さん・お姉さんに育つことを、私たちはたくさんのケースから確信しています。
では子どもは、こんなにも未熟同士でありながら、なぜお友達を求めるのでしょう?
子どもは3歳を過ぎた頃から、物の大小・長短が分かるようになると、時間の流れもうすうすと分かるようになってきます。そして洋服の同色・同じ時間に登園したお友だち・同姓など同類を好む時期を経て、身のまわりにある違いが分かり始めると、子どもの興味の範疇で自分に属すものを価値づけます。残念ながらまだ社会性が十分に育っていないので、やたらと違いを見つけ出しては「女の子だからだめ~」等と、特定の子同士で遊びだすのもこの時期の特徴です。そして子どもたちは、自分たち子どもと大人の違いについて意識するようになり、「子どもは大人にはかなわない・・・」という、子どもにとってはとてつもない事実に気づくのです。私はこのことが、子ども同士の遊びをとても魅力的なものにする最大の理由だと思います。大人とのやり取りでは自分の限界を気づかされますが、子ども同士の遊びでは、のびのびと力を試し、自信をのばすことができるからです。まるで子ども同士同盟を結び、大人に対峙しているかの様に思えることがあります。
とはいえ子供同士ですから自分の言いたいこと・したい放題ではたちまちに抵抗と攻撃に合い、すぐにけんかになって当然です。しかしけんかをしたあとは、ころころとじゃれ合い見事なスキンシップをお互いに楽しんでいます。子ども同士身体の五感を駆使して、お互いの気持ちを癒し合っているかのように見えます。複雑な感情を身体のさまざま感覚で感じ取り、それをまだまだ充分なことばで表せない時期だということも、私たち大人は知っておきたいことです。