満1歳から2歳

目次

満1歳!!

赤ちゃんが迎える、生まれてはじめてのお誕生日。お父さん・お母さんをはじめ、親戚の人たちは大きな喜びでその日を迎えることでしょう。1歳を迎える前からもう歩き始めたお子さん等は、赤ちゃんという言い方も似つかわしくなくなり、一人の立派な子どもとしてのスタートの時期のようにも感じられます。産まれてはじめての誕生日を目安に、「一人歩きが出来るようになっていた」「母乳をやめていた」等とお子さんの成長を記憶しているお母さん方が多いように、満1歳のお誕生日は赤ちゃん自身が大きな成長の節目を迎える時でもあります。

しかし、歩行の開始・離乳食完了・母乳を切り上げる断乳等は、大きな個人差があります。たとえ、赤ちゃんを取り巻く大人たちにとっては大変感動的な節目ではあっても、全ての赤ちゃんが1歳の誕生日を境に教科書通りに成長するものでもありません。赤ちゃんが100人いれば100人分の成長のパターンがありますから、「大体の赤ちゃんがお誕生日を迎える頃には歩き始める」といった世間的な目安には、惑わされないことです。前回の「楽しく子育て」でも書きましたが、歩行開始は赤ちゃんにより10ヶ月~1歳半といった大きな開き(個人差)があり、歩行開始の遅いお子さんが将来、運動が苦手になるといったことは全くありません。はいはいをたくさんして、なかなか歩き始めなかったお子さんが幼児期に転び上手になる事も、保育園では実証済みの事です。

歩行開始の他にも「離乳食が完成した(母乳の卒乳・断乳)」、「言葉を話し始めるようになった」、「トイレトレーニングを開始した」等、知り合いのお子さんの成長ぶりが耳に入って来ると、お母さん自身が自分のお子さんと比較してしまい、焦りを感じてしまうのも満1歳の誕生日を過ぎる頃からでしょうか? 子どもの成長は一人ひとりのお子さんのペースで進みます。そのお子さんのペースをじっと見守り大切にしてあげる事が何より大切なことだと思います。

ただこの時期に、お母さん自身がどうしても決断を下さなければならない事が、「断乳」のタイミングではないかと思います。この時期までに、どう頑張っても母乳が出なくなって自然にミルクに切り替わってしまっている、いわゆる卒乳してしまっている場合は何の心配もないのですが、母乳はまだまだたっぷり出ているけれど、例えば職場に復帰したいとか、離乳食をたっぷり食べさせたい、などの理由で「1歳になるのでそろそろ断乳したい」という方は、「断乳するか?しないか?」で随分と悩まれています。母乳は赤ちゃんがぐずったりすると実に便利なもので、何かでぐずり出した2歳近いお子さんに、さっさと母乳を含ませてしまうお母さんを電車の中で見かけた事がありましたが、このような“口封じ作戦”はどうも感心しません。また母乳を与えている事でお母さん自身が非常に疲れているような場合は、きっぱりと断乳する事をお勧めしていますが、母乳が出ているのに止めるという事に抵抗を示すお母さんは、意外と多い事も確かです。母乳で全部育てたいといった母乳神話が、お母さん方を縛っているのかもしれませんが、何かにつけて母乳を含ませてしまい、お子さんに語りかける事が少なくなってしまう母乳依存型にならぬよう、ご自身の体調と相談しながら断乳を決心して下さい。止めると決まったら、お子さんに前もって伝え(良く話すと分かります)、大きくなったお楽しみ(「今迄食べられなかったケーキやアイスクリームが食べられるね!!」など)を話してあげて下さい。断乳当日は悲しそうに泣いても、どうかお母さんの決心が揺らがぬように! ただし、とても母乳の出が良い方は、乳腺炎にならぬよう、専門医の指導のもと進めて下さい。この事もお母さんの体質によってだいぶタイプが異なります。ご自身の納得のいく断乳の方法を見つけて下さいね。

さて、断乳についての動機の一つに“職場に復帰したい”という事柄を挙げました。お子さんが満1歳になると「そろそろ」と考えられる事の中に、「保育施設に預ける」という事があるでしょう。この4月より実際に新しい生活を準備されておられる方も多い事と思います。

私たちの保育園でも、4月からの入園に備え、お母さんと赤ちゃんの面談が始まっています。先日10ヶ月になる実に愛らしい女児の面接がありました。ママに似たその愛らしい女児について、時々私の口から女児の名前が発せられると、その赤ちゃんは私のほうを振り返ります。その度に「まあ~可愛い~!」と笑いながら面談を進めました。最後に「だっこさせてもらえるかな~」と手を出しましたらお母さんが「人見知りの時期で~泣きますよ」とおっしゃったのですが、全然泣かずに抱かれてくれました。もちろん私のことを、はじめはしげしげと見ていましたが、私が「可愛い~」と何度か言ったことを、ちゃんと聞いていたのでしょう。赤ちゃんは何もしゃべりませんが、大人同士の会話を理解しているのだという事を改めて実感し、とても嬉しくなりました。その前提には保護者の方々の保育園を信頼してくださるお気持ちがあり、それがお子さんに伝わった事は言うまでもありません。

保育園に限らず、子供が多くの人を信頼できるようになるためには、大人同士が偽りの無い信頼関係を築くことが何よりも大切です。保護者の方々が安心して頂けてくださるよう、預かる側の私たちは大いに努力をしていかねばなりません。その一方で、保育園にお子さんを預ける事が決まっているご家庭では、どうかお子さんの前で、その施設に関する不満などをお話にならぬよう気をつけて下さい。もちろん大人だって人間ですから、しばらく新しい環境に慣れなかったり不満があったりしても当然です。でもそんな時は、ご不満・疑問などは、必ず保育園側にしっかり伝える事を忘れずに。不満や疑問を持ったまま晴れぬ気持ちでお子さんを預ける事は、お子さんが保育園に慣れていかれない大きな理由になってしまいます。大切なのは、誠実にコミュニケーションを重ねる事で、預かる側も預ける側も互いに努力して、子供が安らげる信頼関係や環境をじっくり築いていくことなのだと思います。

最初の節目となる1歳の誕生日前後は、赤ちゃん自身の目に見える変化や、様々な環境・生活上の変化が起こる時期でもあります。赤ちゃんのペース、お母さん自身のペースをともに大切にしながら、赤ちゃんを見守り愛する大人たちの輪を、楽しんで広げていって欲しいと思います。

赤ちゃんの好奇心

私たちの保育園では、赤ちゃんが満1歳の誕生を迎えるちょうどその日に、ささやかなお誕生会を開きます。たまたま保育園のお隣に、季節の花を次々咲かせ譲ってくださる方が居るので、誕生児にはほんの1〜2輪を「ハッピーバースディ〜」の歌と共に贈ります。年度の初めは、満1歳のお誕生児以外は皆小さい赤ちゃんなので、お誕生日の意味も分らず、ただただお花に目を凝らしているばかりです。

しかし、さすが満1歳を迎えた当の本人は、準備された椅子にちゃんと座り「僕はお祝いされているのだ」といった得意そうな表情を見せるからびっくりです。ほんの少し前には私に人見知りをして火がついたように泣いていたのに、お祝いの花を持っていくと、担当の保育士さんが「お花頂いて良かったね〜、うれしいね〜」と笑顔で言ってくれることもあって、人見知りもせずに私を受け容れてくれるようになります。そしてもっとびっくりすることは、その誕生日以来、私が用事で赤ちゃんの部屋に入って行くと、人見知りをしていたときとは全く違う、「このひと、しっている」といった表情をみせてくれることです。(勿論、担当の保育士さんが私のことを歓迎してくれる言葉あってのことですが・・・)お誕生日を迎える満1歳は、はいはいの子もいれば、伝い歩き・ヨチヨチ歩きの子もいて、一人ひとり全くといって良いほど違った発達と個性を見せているということは、前回の“楽しく子育て⑫”でも書きました。けれどこのお誕生会を経験すると、その嬉しさを覚えていて、その後の人間関係に大きな成長を見せることに関しては、どの子どもにも共通しているように思えます。

満1歳を越えると、赤ちゃんはお父さんお母さん以外の人にも大きな関心を示し始めます。電車の中でも、ベビーカーに乗せられた1歳を過ぎた位の赤ちゃんの目を見つめ、少し笑いかけると、どの赤ちゃんも関心を示して、そして必ずお母さんの顔を見上げます。「このひと、だあれ?わたしにわらっているけど・・・」と一寸不安そうに見えたり、ちょっと喜んでいる風に見えたり、赤ちゃんの性格によって様々です。そしてその場面でのお母さんたちの様子も様々。最近は大半のお母さんは携帯のメールをみているかメールを打っていて、赤ちゃんがお母さんを見上げたことにも殆ど気がついてくれません。

ところがある時、電車の入り口に並ぶように居合わせたベビーカーの赤ちゃんに目が合い、いつものように笑いかけてみると、赤ちゃんはちょっと面白そうな顔をして急いでお母さんを見上げました。私とのやり取りを見ていたお母さんは小さく頷くように笑って返してくれました。赤ちゃんは両手をばたばたと動かし、喜びの表情と共に「きゃっ、きゃっ」笑ってくれました。その可愛らしさに、横にいた女性も「可愛いわね〜」と思わず私と顔を見合わせ、赤ちゃんを囲んで幸せな一時が流れました。この様な場面(赤ちゃん連れのお母さんに近づくこと)は、最近の東京では大変稀になってきていますが、地方に出かけると中年女性が赤ちゃん連れのお母さんと案外親しく話されている場面を見かけます。赤ちゃんを見たら可愛くて思わず声をかけたくなる周囲の大人が居ることや、お出かけ中何を見ても興味津々の赤ちゃんがお母さんを見上げることの意味を少しだけ解ってあげて、赤ちゃんと目を合わせる場面をもっと多くして欲しいな、といつも思ってしまいます。

好奇心が爆発的に育つこの時期に、いろいろな場面で赤ちゃんがお母さんの顔を見あげるのは、「おもしろそうだな〜、でもちょっとこわいかな?」と、好奇心と同時に恐怖心も育っているからなのです。赤ちゃんにとって、未知なる物や人を知りたがる好奇心は、自分を守って保護してくれる大人たちの言動を通して育てられるので、赤ちゃんのほうからお母さんの顔を見上げた時には、非常に危険なもの意外は、「面白そうだね〜」と、にっこり笑顔で赤ちゃんの好奇心を認めて、安心させてあげて下さい。こうして後押しされた赤ちゃんの好奇心は、将来何事にも恐れずにチャレンジする、自主性として育っていくことができます。そして未知のものや人との触れ合いが楽しいという事を見せるために、是非大人同士のコミュニケーションを積極的に楽しんでほしいと思います。昔のように、スーパーでの買い物はほとんど一言もしゃべることがありませんし、買い物に行ってお店の人に声をかけてもらえる環境も少なくなりました。お母さんが誰かと楽しそうに話している場面を赤ちゃんが見る機会は、少な過ぎるのです。赤ちゃんと一緒にいるときの大人の言動こそが、赤ちゃんの好奇心をのばす鍵だと心得て、お出かけや新たな出会いを楽しんでみて下さい。赤ちゃんのおかげで、見慣れた風景も新しく見え、予想外の出会いが生まれるに違いありません。

赤ちゃんがしゃべるということ

歩行を開始した赤ちゃんは、色々な物に興味を持って移動するので、大人たちは目を離せない状態になります。歩きはじめることによって赤ちゃん自身にも大人との距離が出来て、「これは何?怖くない?どうしたら手にもてるの?」など疑問や欲求が増え、言葉も是非必要になるのでしょう、この時期に言語能力も飛躍的に伸びて、しばしば大人を驚かせます。しかし、1歳半を過ぎても言葉を発さないと心配される親御さんもおられるように、運動能力同様、言語能力の発達にも幅があります。では赤ちゃんの言語能力を育てるには、どんなことが大切なのでしょうか。

生まれて以来大人の話しかけに触れてきて、歩行開始とともに行動範囲が広がった赤ちゃん。この時期に一つ一つの行動の度に大人がさらに多くの言葉をかけることにより、赤ちゃんの言葉の理解が目に見えて広がります。例えば扇風機を触ろうとした子どもに、「これはせんぷうき、あぶない・あぶない・・」等と話しながら、子どもの動きに沿って話しかけることが多くなります。実際この時期に、赤ちゃん自身の興味ある行動に伴った大人からの言葉の量が大変多くなるという研究データもあります。どうやら歩行を開始した子どもの言葉が急速に増えてくる理由に、大人の言葉がけが圧倒的に多くなるということが関係しているようです。とはいえ、大人からの一方的なことばかけのみが言語能力を刺激する訳ではありません。

赤ちゃんは、歩行を開始するだいぶ前から大人からのことばかけをたくさん受けますが、10ヶ月頃からは大人の指さす方向の対象物を大人と共に見ることが出来るという、人間の優れた能力の一つを発揮します。そしてたちまち自分の興味のあるものを指差すことを覚えます。「あっ・うっ」等ことばにならない声も出しながら、自分で見つけた興味深いものを一生懸命大人に分かってもらおうとしきりに指差しをします。これが赤ちゃんの立派なことばの基礎です。この時期、赤ちゃんの興味に反応して、大人が車の色・車種・音などについて、「赤いブーブーだね」「ブーブーはやいね〜」のように、楽しくことばにしてあげることが大切です。

赤ちゃんがいくら指差しをしても大人がそのことに何の反応をしなかったら、赤ちゃんの大人に何かを伝えようとする意欲はすっかり失せてしまいます。赤ちゃんにとっての言葉は、感動や疑問を伝えたいという大人がいることが大前提で、その自発的な好奇心や興味を認め励ましてあげることで、いっそうの好奇心が育ちます。つまり、言語能力の発達には、赤ちゃん自身の自発的意志や好奇心の発達と、それを認めて励ます大人の存在と信頼関係、その大人による細やかな言葉かけ、などが不可欠です。

そして、赤ちゃんがはじめに覚えていく言葉は、身近な大人との関係を反映します。例えば、歩き始めた赤ちゃんには様々な危険がつきまとうので、どうしても「あぶない!・だめ〜」などの禁止の言葉が多くなるものです。そのせいか、 始めての言葉に、いわゆる否定語(「いやいや・だめ〜ッ」)が多い赤ちゃんも少なくありません。そこで私たちの保育園では、否定語が多い赤ちゃんには、出来るだけ楽しいことに関係する「おいしい・おいしい」「すき・すき」などの言葉を、食事や遊びの中で繰り返し発するよう心掛けています。食事のように毎日繰り返される楽しい時間に、決まった言葉を繰り返しかけることにより、赤ちゃん自身の楽しみを保育士が分かち合い受け止めることを伝え、信頼関係を築きます。そうすると、その他の活動(散歩や庭遊び)の中でも、赤ちゃん自身が見つけた好きなものを保育士に伝えたいと赤ちゃんが感じるようになります。ご家庭のお父さん・お母さん以外に自分の気持ちを伝えられる大人が一人でも多くいることも、意思疎通の欲求を刺激するうえで、とても大切なことのように思えます。

保育園は嬉しいことに、たくさんのお友達が居て様々な関わり合いがもてます。お友達が保育士さんに甘えている姿を見ることも度々です。「あんな風に甘えていいのだな〜」、というような表情でお友達が抱かれている姿をじっと見つめている赤ちゃんを見ることがあります。そして「自分も〜」と両手を出して、大好きな保育士さんに抱っこを要求します。保育園の0歳児クラスでは、赤ちゃん3人に一人の保育士さんが配置されていて、他に看護師さんや非常勤の保育士さんが入り、大人一人で大体2人の赤ちゃんの保育に当たるといった状況ですので、赤ちゃんも言葉でどんどんしてほしいことを要求することを覚えます。こんなことからも、言葉を話し始めるということは、赤ちゃん自身が言葉にしたいという動機と、それを是非伝えたいと感じる大切な大人との関係があることが明確に見てとれます。

もし赤ちゃんが1歳半を過ぎても一向に言葉を発さず心配でしたら、 発達の遅さに気をもむ前に、日々の赤ちゃんへの接し方を少し見直してみて欲しいと思います。赤ちゃんの要求をかなり先取って玩具やたべものを与え過ぎて自発性の芽を摘んではいないか、また言葉によるやり取りが十分か、表現したいと感じる多くの人間関係が日常にあるか、などをみてあげてください。言葉は社会関係の道具であり、日々の楽しみの中で豊かになっていくものです。発達の早さ、遅さばかりに気をとられるのではなく、赤ちゃん自身の好奇心の輝きと、まわりの人間との喜びに満ちた信頼関係があるかどうか、が何より大切に思えます。それがあるなら、かわいい言葉で大人を楽しませてくれる日はすぐそこです。

自己主張の芽

歩行が始まり、手が自由に動かせるようになった子どもは、記憶力に加えて知力も育ち始め、いよいよ乳児から幼児へと成長段階を昇っていきます。そうした発達に伴って、子供が自らの欲求の実現を積極的に求める機会が増え、手ごわい駄々で大人を困らせはじめます。自己主張は自我が育ってきた証拠なので喜ぶべきことなのですが、大人にとっては大変な時期の始まりでもあります。子供の自発性を大切にのばしながら、危険や厄介事を極力避けるために、大人たちはどのように子供たちと付き合えばよいのでしょうか?

まずこの時期の子どもの特徴は、大人の行動の模倣を始めることです。「いいお顔」「ちょち・ちょち・あわわ」等の、いわゆる大人を喜ばせる芸を卒業し、大人の行動そのものに大きな関心を示すようになります。子供たちは大人の行動を実に真剣に観察していて、毎日大人が使う掃除機を触ったり、台所の引き出しなどを開けたがり、「どれだけ自分に触らせてくれるか」を試しているかのようです。「掃除機を触っても何も出来ないでしょう!!第一汚いわ」と、大人はついそんな風に思いがちです。しかし子どもにとっては掃除機に触るだけで、大人のように「ぶ〜ん」と掃除機を動かしている気分になれるのかもしれません。あるいは「動かすのはなかなかむずかしい」とでも思うのでしょうか、触ってしまえば案外あっさり気が変わるものです。子供が何かをやりたがった場合は、とにかく、大人の都合で頭ごなしに否定するのではなく、やりたいことをやらせてあげてみてください。やらせてもらっている瞬間のお子さんの表情を良く観察してみると、実に嬉しそうな、満足気な表情をしていますよ。赤ちゃん時代は目に入っても触ることが出来なかった生活用品にひとまずは触らせてあげて、ついでにコンセントやガスなどのスイッチは危ない所だということを言葉でしっかり伝えることが、大切なことではないかと思います。

この時期のもうひとつの厄介な事柄とは、手づかみで食事をしたがることです。ご家族の中で、「お行儀が悪くなった」と思う方がおられると、お母さんはお子さんの手づかみを叱るようになります。するとお子さんはプイと顔を横に向けて食事を拒否するようになります。私たちの保育園で試みている“離乳食レストラン”を利用される方の中に、この様な時期にぶつかって「食事をしなくなって困った」とおっしゃる方が何組もありました。お子さんが手でつかめるように、俵のおにぎりや大きめに切った煮物などを手に持たせると、実に嬉しそうに口に運びます。保育園では、この時期は食べこぼしを見込んで普通の1・5倍ほどの食事を用意してもらうので、保育士さんも安心して子ども自身が自分の手で食べ物を口に運ぶのを見守っています。けれどお腹が満たされてくると遊び始めるので、時間を見計らって切り上げます。

また、お気に入りの行動(お散歩、テレビ番組、水遊びなど)を覚えていて、それをしたいとせがんだり、叶わないと身をくねらせて泣いたりし始めるのもこの時期です。楽しかった行動の思い出が記憶に定着して、それに関連する何かを通じて楽しみを求める行動をアピールします。たとえば、お散歩に行く時には必ず帽子をかぶっているのなら、帽子をかぶることで、「お外へ行きたい!」とアピールし、テレビを見るときに決まった椅子に座っているなら、そのお椅子に座ってテレビを指差します。テレビを見せておくと静かにしていてくれるから大人にとって好都合かもしれませんが、大人の予定にかかわらずテレビを見たいと要求し、叶わないと泣き叫ぶとなると大変です。そんなときは、場当たり的に言われるままに欲求を叶えるのでも、一方的に否定するのでもなく、「これだけ見たら終りね」などと言葉をかけて、約束事を作って守るようにしていきましょう。

一見厄介な行動が始まったように見えるこの時期の行動には、とても重要な意味が含まれています。まずどの行動も、子どもが意欲を持って自発的に意欲の実現を求めているということの表れなので、どうか子供の意欲を決して否定せずに、行動の達成感を味わせてあげて下さい。様々なことに自分で挑戦することで、それを認めてくれる大人を信頼するとともに、「自分はとても大切にされている・自分のしたいことは何でもできる」といった自己有能感・自己肯定感の基礎づくりをすることになるからです。また、日々の繰り返しの中で大人の言葉が実際に守られることにより、子ども自身の待つ心が少しづつ育ち始めます。つたない子供の自己表現に、丁寧に、そして確実につきあってあげる事で、子供の心に自発性と忍耐が育っていきます。

保育園では大変ありがたいことに、遊びは保育士さん、食事は調理師さんと役割が別れていて、遊んだ後には必ず食事が出てくる、つまり生活のリズムがかなり決まっているということにより、子ども達はだんだんと生活リズムの予測がつくようになってきます。遊びたい・汗を流してさっぱりしたい・食べたい・眠りたいといった生理的欲求が日々繰り返して満たされることにより、私たち保育者を信頼する心が育ってきますし、リズムがはっきりしているので、駄々をこねる事がご家庭よりも少ないように見受けられます。従って、ともかく日々の生活がある程度規則的に進むことが、この時期の子育てを平和に進めるコツのようです。生活のなかで習慣とリズムをつくって、それを守ってあげる事は、まだ完全に自己をコントロールできない子供の「揺れ」を最小限にしてあげる意味があります。そして大好きな遊びや、美味しいご飯、安心して眠らせてくれる信頼できる大人が、時には危険を注意したり、何時間もテレビを見てはいけないことを真剣に伝えることにより、子どもも大人の真剣さを必ず理解することが出来るのだという信念を持って、お子さんに接して頂きたいと思います。子ども達が大きくなった将来、積極的に自分の人生を切り開いていく行動力の芽はすでに芽生え始めています。

絵本読みタイム

楽しく子育て「赤ちゃんと絵本」で、赤ちゃんの玩具としての絵本について書きました。歩行開始の前に、だんだんと手が自由に使えるようになった赤ちゃんは、絵本でさえ、なめたりページをめくったりしてまるで玩具のように遊びます。そして歩き始めて、赤ちゃん自身の生活体験がグーンと広がると、絵本の中に、散歩のときに見た車や会ったことのある犬等を見つけ、嬉しかったことを思い出すのでしょう。そこで改めて、お父さんやお母さんに絵本を読んでもらうことをせがみます。

生活体験が広がれば広がるほど、絵本への興味も広がり、その中でも特にお気に入りの絵本に出会うと、「よんで!!よんで!!」と絵本を持ってきて何度もせがむようになります。家事の途中でついつい「後でね」とか「今はだめ」と、赤ちゃんの希望になかなか添ってあげられず、絵本よみのタイミングを合わせるのはなかなか難しいことでしょう。そして何とか読み終えると「もう1回・もう1回」とせがむので、「同じ本ばかりよんでもらいたがるので・・・」と困っておられるお母さんも居ますが、赤ちゃんにはとても興味深いことなので、出来るだけ赤ちゃんの要求に応えてあげてください。見た事のある対象への興味と同時に、自分に向かって絵本を読んでくれるお母さんお父さんの声にうっとりしているのでしょう、赤ちゃんは絵本と読んでくれる大人の顔と絵本を交互に見比べつつ声を聴いています。

保育園の0歳児クラスでは、殆どのお友だちのお昼寝時間が一定になってくると、絵本よみの時間も決まった時間に組み入れられるようになってきます。赤ちゃんより少し大きいクラスのお友達もお昼寝前に絵本読みをしてもらいますが、段々とその絵本読みの時間を楽しみに待てるようになります。特に絵本の大好きなお友達は、昼食後すすんで自分からパジャマに着替えて、絵本読みの始まるのを定位置に座って待っています。その姿は何とも可愛らしく、「子ども達の絵本好き」をつくづくと感じています。日々の生活の中に絵本読みの習慣が組み込まれてくると、絵本を読んでもらうということが特別なことではなくなり、どの子どもも当たり前に絵本読みに参加します。午前中の活動で充分に生理的欲求が満たされた子どもたちは、今度は絵本が情緒的・知的欲求を満たしてくれることにさらに大きな満足感を得るのでしょう。絵本によって実際に見たことのある車や動物を思い出し、それを見た時の嬉しさも同時に思い出します。こうして絵本を通して自分の目の前にない物を心の中に描き出す訓練をして、子ども達の想像力が徐々に育って行きます。

子ども達にとって絵本とは、小学校低学年頃になるまでは大人に読んでもらうものです。想像力の世界に遊ぶ力、ひいては見えないものを考える力は、こうした大人の助け無しには育たないので、絵本読みは親の大切な仕事の一つだと言えるでしょう。しかし絵本を読んであげるときには、くれぐれもお子さんに“教えよう”としないで欲しいと思います。あくまでもお子さんが興味を示したものについてのみ声に出してあげて下さい。他の絵の方を指差し「これは○○よ」と教えようとすることは、子どもの自身の想像している“おもい”を邪魔することになってしまいます。また、絵本を読んであげることによって子ども自身が何を感じたか、どんな感想を持ったかなどをしつこく聞き出すことは、これから先ずっとタブーであることを、私たち大人は心しておかねばなりません。たくさんの絵本を読んでもらい子どもが心豊かに育つためには、絵本読みの時間に叱られたり、何かを教えこまれることだけはあってはなりません。大人は子どもの想像の世界の重要な「案内人」ですが、それについて教える事はできないのです。

親にとって子どもの想像力を育てる営みとしての絵本読みは、赤ちゃん時代からはじまりますが、0歳児時代に理解できる絵本は、赤ちゃんの知っている簡単なもの(車・食べ物)を扱う、絵のみでストーリー性も少ないものばかりなので、大人にとって決して面白いと思えるものではないかもしれません。1歳過ぎの赤ちゃん達に絵本を無理やり読まなければいけないと思い込まず、絵本が子ども達にとって玩具位に見守っておくことが必要かと思います。あまり堅苦しく考えないで赤ちゃんの遊び心を優先させながら、この時期から徐々にゆっくり楽しめる時間としての「絵本読みタイム」を決めていくと、生活のリズムが作りやすくなっていきます。そのことで大人と子どもがゆっくり向き合える時間の習慣ができますし、子どもはそれを楽しみに待つようになっていきます。

長いけれど必ず通り過ぎてしまうこれからのお子さんの成長の段階で、絵本読みの時間ほど、大人と子どもの心がしっかりと向き合える時間は、他にそうはないように思えます。お子さんの成長と共に、段々と大人にとっても興味深い絵本に出会えるようになってきて、大人でも心引かれる美しい絵と思わず涙がこぼれてしまうような感動があることが、絵本読みの魅力です。絵本読みを通して大人も楽しめるようになるまでは、しばらく辛抱強くお子さんの「よんで・よんで」につきあってあげて下さいね。絵本の魅力は、想像の世界に遊ぶ一時を、こうして大人と子どもで共有することではないでしょうか。子どもの信頼する大人が、自らの声と存在で想像の世界を紡ぎ出すことで、子どもは安心して想像の世界に浸ることができます。子どもをのびのびと想像の世界に遊ばせてあげる事を心がけながら、長いようで短い「魔法の時間」を、どうか一緒に楽しんでほしいと思います。

子どもを叱る

満1歳の誕生日から半年も過ぎると、もう赤ちゃんと呼ぶには似つかわしくなくなり、よちよち歩きはいつの間にか、しっかりとした歩行に変わっています。ようやく歩き始めた頃は、赤ちゃん自身相当なエネルギーを消耗し、くたくたに疲れるようですが、よろけることもなく歩けるようになって赤ちゃんらしさが抜けてくると、子どもは歩くことでそれほど疲れなくなります。

歩くことにあまり神経を使わなくても良くなった分、子供自身もあちこちを歩き回って生活のあらゆる物に強い関心を示すようになります。そして一つ一つの物には名前があるらしいと気付き始め、目に付いたものはすぐに手に取って大人の人に向かって「これはナニ?」と問う表情をみせます。子どもにしてみれば真剣に知りたい気持ちによる行動ですが、忙しいお母さんにとっては、日常的いたずらの一つに見えるかもしれません。上手に歩ける嬉しさに加え、高いところに登れる嬉しさも加わり、思わず「あぶない!!」と叫んでしまう場面もたくさん出てくるのもこの時期です。保育園の1歳児クラスに入園してくる月齢の高いお子さんの親御さんに、「うちの子供はちっともじっとしていられなくて、多動症ではないかと心配しているのですが」とおっしゃる方が何人もおられますが、どの子も好奇心を運動で表現する時期なので、心配はいりません。

私の長女も丁度その年齢の頃、大変な「いたずら」をした事を覚えています。長女が昼寝をしているからと台所で片づけをした後、しばらくして娘の寝ている部屋に戻ってみると、布団の中はもぬけのから。すると何やら頭の上の方で「くっくっ」と嬉しそうな声が聞こえたので見てみると、何と整理ダンスの引き出しを開いて階段のように使い、横にあった洋服ダンスの一番上に乗って笑っているのです。思わず息が止まりそうになり、頭から血が引いたことを思い出します。そしてそれから1週間位、夜中に何度も目がさめては、その場面を思い出しました。何でもなくて良かったけれど、目を離した自分を責めていました。

日中たった一人で育児と家事をこなされているお母さんにとって、子供の危険への心配は尽きないでしょう。私の娘のように活発で、怖いもの知らずの子どもは沢山いると思いますし、体力が旺盛でいたずら気質も充分な子どもは、次々に大人をびっくりさせることをしでかしてくれるものです。しかしまだまだ「あどけなさ」の残るこの時期、子供を叱る事にも躊躇するのではないでしょうか。1歳前後の赤ちゃんだった頃は、危ないと思ったらひょいと抱きかかえてその場から離せば何とかなったものですが、1歳半も過ぎると子どもはかなり自分の意思を持って行動しています。「あぶないでしょう」と抱きかかえて違う場所に連れて行こうものなら、たちまち大声で抵抗を示します。

先日保育園の1歳児の部屋から大きな泣き声が聞こえてきて、何事かと行ってみると、いよいよ危ないことをして(パジャマ袋の紐を首にかけていて)男性保育士さんに叱られていました。この様に大きな泣き声になってしまうと、子どもはもう大人の言うことを聞きません。「抱いてお話してあげて」と保育士に伝えると、泣いていた男の子は自分の一番大好きな女性の保育士さんに抱かれ、ようやく泣き声が止まりました。「お首に紐を巻きつけたら危ないね、あぶない・あぶない」と諭すようにやさしく伝える保育士さんの顔を見つめて男の子は、前よりずっと素直な表情に変わっていました。

子供に分かってもらう為には、叱る大人と子供との関係が、かなり親密なものに成熟していることが大切です。そして「二度とこの様なことをしないようしっかり叱っておこう」という、大人の愛情から発した行為であるにも拘らず、大人がつい大きな声(感情が含まれる)になってしまうと、まだこのくらいの年齢の子どもでは、恐怖心が先立ってしまいます。加えて子どもは自分の存在を否定されたと思ってしまいます。大人の気を取り戻そうとするのか、大声で泣いたり、寝転ぶ・頭を床にがんがんと打ちつけるなど大人を困らす行動を取るようにもなります。そこで大人がうろたえたりしたら、子どもはもう味を占めて、「こうすれば大人は言うことを聞いてくれる!!」と思うのでしょう。ちょっとしたことでこのやりとりが始まり、繰り返される事で、その“大人を困らせる行為”は徐々にエスカレートしていきます。

とにかく子どもの行動は日々活発になっていくものです。危険が伴い、日々の生活の中でこれだけは叱ってでも分ってもらいたいということはいくつか出てくる筈です。それを伝える「こつ」は、子どもの身体のどこかに触れ、じっと子どもの眼を見て、「○○だからやってはいけません」と毅然とした態度で伝えることです。そしてその声は低く、叱る言葉は短く、くどくない事が大切です。子供から離れたところから大きな声で叱ると、声がどんどんエスカレートする上、子どもの方でも大人の声を聞き流す癖がついてしまいます。

1歳半という年齢は、自分の身の危険について注意を受けることがあることを少しづつ記憶できる年齢です。何か危ないことをしているお子さんを見て、大人が「○○ちゃん!!」と緊迫した声をかけた時、さっと大人の方に振り返らないお子さんは、大人との親密な関係(愛着関係)が出来上がっていないという風に考えなくてはなりません。いざと言う時にしっかり叱れる大人でいる為には、日頃子ども達の正当な生理的欲求には充分答え、たくさん甘えさせてあげて、子どもから見た大好きな大人でいるよう心がけたいものですね。

ごっこ遊びのはじまり

「最近の幼児(3歳以上の幼稚園・保育園児)は、「おままごと」をしなくなった」という意見が幼稚園・保育園の関係者の方々から聞かれるようになってから、10年以上もの年月が過ぎたように思います。

確かに20年前の幼児たちは、いわゆる「おままごと」といわれる「ごっこ遊び」をとても楽しそうに繰り広げていました。その姿には、お父さん・お母さんの役割も明確に現れていました。ある男の子はいつもお父さん役をやっていたのですが、必ず「ちょっとおさけかってくる!!」と言いながら、あわてた様子で出掛ける役をしていました。それを見て、子供は親の姿をとても良く観察していることに、ご両親と共に感心させられたものでした。子ども達のおままごとは、子ども自身の想像力を育て、友達とのコミュニケーション力を見事に育みます。かつて、賑やかで実に楽しそうなおままごと遊びが幼児集団の中で持続したのは、子ども達の家庭生活の体験が、殆ど各家庭共通していたからでしょう。そして父親・母親・兄弟姉妹の役割が、幼児の目から見て明らかに分る形で分担されていたので、「おままごと」が持続できていたのだと思います。

しかし世の中の仕組みもだいぶ変化し、仕事の上でも“男女雇用機会均等法”の成立以来、女性の社会進出はめざましいものがあります。全ての子どもがいつも決まった家事をこなす母親の姿を見るとは限らなくなったいま、子ども達の遊びの中から「おままごと」が消えていくことは当然の事のように思えます。幼児に共通の体験としての「おままごと」が見られたのは昔のことになってしまいましたが、最近の幼児達が「ごっこ遊び」(見立て遊び)をしなくなくなったかと言うと、決してそんなことはありません。確かに、お父さんお母さんそして兄弟・姉妹が登場するおままごとは殆ど見られなくなっていますが、 「ペットショップごっこ」「レストランごっこ」「イルカショーごっこ」「動物ショーごっこ」そして「お店やさんごっこ」等などは、子ども達が夢中になって遊ぶ「ごっこ遊び」です。子ども達の様子を見ていると、基本的に「楽しい!!」と感じた体験を再現する一人の子供を中心に、「ごっこ遊び」がはじまります。ある行為の楽しさを思い出し一人の子どもが遊びだすと、共通の記憶がある子どもが次々に参加していくのですが、共通体験が無い場合は長い時間持続することが難しいようです。ですから保育園では、子ども達の年齢別に保育園での共通体験をもとに遊びを設定し、「アリさんごっこ」「お店屋さんごっこ」「絵本ごっこ」などを計画します。特に「絵本ごっこ」の遊び方については、後ほどのテーマで詳しくお伝えしたいと思います。

ところで「ごっこ遊び」は何歳位から始まるのでしょうか?前回の楽しく子育て⑰“子どもを叱る”の中でも書きましたが、1歳半を過ぎた子ども達は歩行が安定してきて、歩くということに神経をとられることも減り、体力もさほど消耗しなくなったことにより、大変なエネルギーが満ち溢れてくる時期に入ってきています。私たち保育園の職員はこの時期の子ども達を「探索期に入った」と表現していますが、とにかく一日の活動の70パーセント以上はぐるぐる動き回ることに費やし、後の3割の活動はその動き回った時に感じた様々な事柄の確認作業をしているかのようです。子供たちは、大人のする事や身の回りの諸道具に大きな関心を持ち、実にこまめにそれらを確かめ、大人のする通りにやってみるようになってきます。

例えばヘアーブラシのようなものを手にすると、ちゃんとブラシを頭にもっていき、毛を梳かすような仕草をしますし、軟膏のケースや化粧品の容器を見つけると、ふたを開けて、頬に塗ってみたり、大人が「いつの間に見ていたの?」とびっくりするようなことを度々やってくれます。あるお母さんによれば、化粧バッグの中身を出されてしまった時、子供がちゃんと赤い口紅は口元に、青っぽい色は目元にぬっていたそうで、子どもがいつの間にちゃんとお母さんのお化粧の仕方を観察していたことが分りびっくりされたそうです。これが正に、ごっこ遊びの始まりです。子どもにとっては大人の真似は何とも面白いようです。その理由一つは、この年齢になってくると、品物に対する興味が、その品物を大人がどのように使っているかという、大人の行為そのものへの関心となる事があります。たまたま目にした品物から、大人の行為を思い出せるまでに知的に成長したので、子どもは大人の楽しそうな行動を真似し、遊びとして展開していきます。しかし2歳前の子どもの「真似事」のほとんどが、大人にとっては“いたずら”として見えてしまいます。そのことでひどく叱られ、様々な道具をすっかり片付けられてしまうと、子どもにとってはたくさんの体験のチャンスが失われてしまうことになります。子どもは、既製品の遊具と同時に、家庭の中にある大人たちが直接手にとって動かしている道具に大きな関心を示すものです。ですから子供用玩具の中に安全で清潔な本物を紛れ込ませておくと、お子さんはきっと喜ぶと思います。ふたの開け閉めが面白いタッパーの容器等は、中身にDIYショップにあるようなプラスチックのチェーンなどを入れてあげると、食材に見立てて真剣にかき回したり、大人の動きを再現します。

2歳前の子どもたちは3歳過ぎの幼児達とは違って、まだまだ生活体験が少なく、毎日繰り返される家庭内の日常生活が最も身近な関心事です。そして幼児達の家庭に比較して外食も少なく、お母さん・お父さんが家で食事を作っているケースが圧倒的に多いでしょう。2歳前後の子どもが食事作りの真似っこ遊びに興じられるように、是非小さな鍋とガス台に見立てられる箱などを用意してあげましょう。そして時には、お子さんのつくったご馳走に「いただきます」「あぁ〜おいしかった!!」等とつきあってあげると、お子さんにとって最高に楽しい時間になり、後の遊びの豊かさにつながります。「おままごと(家族ごっこ)」が子どもたちの遊びから消えていったとしても、子ども達は大人の何気ない日常の営みをじっと観察し、大人と同じようにやってみたいと常に思っています。私たち大人がいきいきと生活することにより、子ども達はいつの間にか、日常の道具の使い方を覚え、生活のなかの大人たちの様々な感情をも感じ取って、その生き様からも大きな影響を受けて日々成長していくのです。

2歳前パートⅠ 一人で歩きたい

とても歩くことが上手になった2歳前の子どもは、病気や眠い時そして食事以外は絶え間なく体を動かすので、一時として目が離せなくなってきます。家の外には魅力的なことがたくさんあることも覚え、一日に何回も外遊びに出かけるご家庭も多いことでしょう。ようやく大人と同じように歩ける嬉しさからか、散歩に出て大人が手を引くと、すぐに大人の手を払い抱っこも拒否することが増えてきます。無理やり手を引こうものならたちまち泣き叫ぶ子どもさえいる程です。人々の行きかう町や公園で、一人前に歩くということは、何とも得意なことなのでしょう。

得意げに一人で歩きはじめるこの時期、子どもは何度も転び、大人をはらはらさせます。でも自分で転ぶときにまだ本能的に手をつける時期ですので、たくさん転ぶ経験が大切です。子供は転んで少し危ない思いをすることで、歩行の微調整を覚えていきます。特に「はいはい」の少なかったお子さんは、転ぶとうまく手を出すことができず怪我をすることが多くなりますので、お父さんお母さんは、「転ばせたくない」という気持ちが強くなるでしょう。しかしそこで過剰に補助してしまうと、ますますお子さんの一人歩きの機会、そして転ぶ機会を少なくしてしまうことになります。また、大人が突然手を出すとかえって怪我をさせてしまい、結果的に怪我の程度は大きくなります。まだたくさん歩くことが出来ず、自分で歩きたい、でもやっぱり抱いて欲しい、の繰り変しで本当に厄介な時期ではありますが、幼児期・学童期に入ってさらに大きな怪我をしないためにも、歩き始めたこの時期こそ、お子さんが一人で歩くよう励まして、手を貸さずに見守ってあげてください。歩行開始間もない子どもが、たくさん転び、自分の力で立ち上がることは、将来大怪我をしないためだけでなく、その子自身の自立する力・精神力の形成に大きな影響を及ぼします。転んで泣いても「頑張れ!!立てるね」と励まし、立てたら抱きしめてほめてあげる、この繰り返しの中で子供は自分で頑張ることの意味を全身で知っていくのではないでしょうか。

「三つ子の魂百までも」という昔からの言い伝えがありますね。これは、幼い時の性質は老年まで変わらないという意味で使われていることわざですが、最近では、早期英語教育の宣伝で目にした方も多いのではないでしょうか?例えば、3歳で英語を教えられて英語を身につけた天才のようなお子さんの紹介が載せられていて、それを読んでつい焦り、「わが子も!!」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、早期教育を強調することは、ことわざ本来の意義からそれたものであり、焦らされる必要は全くありません。そもそも「三つ子」という表現は大変アバウトな表現で、3歳きっかりのことを指しているのではありません。昔の人(私の母親時代)はよく、「かぞえで何歳?」と言う聞き方をしていましたが、赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいた月も含め、2歳過ぎの子どもを「かぞえで3歳」と認識していたのですね。つまり「三つ子の魂」は満2歳までを示すことになります。満2歳までに大切なのは、早期教育ではなく、子どもの「自我の芽生え」に大人がどう対処するか、という問題です。

現代の発達心理学研究では、2歳前後の子どものめまぐるしい自我の成長を重視します。主に、周囲の大人がどのように判断し対応するかが子どもの性格形成に大きな影響を及ぼすという考えで、この時期の子どもの意志を尊重する大切さを説いています。例えば、保育園に通う子ども達と保護者の方の登園時の様子を例にあげてみます。忙しい保護者の方々が、朝夕送迎すること自体、大変なことで、子ども自身も親の大変さが充分分かっている様です。しかし、ひとたび保育園に入ると、玄関から部屋までは自分で歩くと決めているのか、多くの子どもが親の手を振り払って自分で歩き出します。そこで子どもを見守ることのできる保護者の方々は、その後のもっと大きく自分を主張する時期を、やすやすと乗り越えています。この時期、子どもの生理的欲求を大切にすることにより、子どもとの信頼関係が充分に築かれ、その後の子育てが、とても楽しくなるのだと思います。

しかし発達心理学では、この時期が決定的に子どもの将来を決めてしまう、と決め付けてはいません。子供というのは周囲の環境と愛情深い知恵で対応すれば、いくらでも育ちなおしができるという、「人間生涯発達論」の考えに基づいています。2歳前後のお子さんの対応に悩んでおられる方は、保健所や保育園の専門職の方々に是非相談をしてみて下さい。穏やかな子どもも、気が強くエネルギッシュな子どもも、その子なりの表現で自分のしたいことを主張します。時には大泣きで抱えられてしまっているお子さんを見ると、子どもが安心して自由に歩ける場所が少なくなってしまった都会の姿に何とも切ない思いが湧いてきてしまいます。子育て中のお母さんは、どうか子どもの自発性を育てる重要性を念頭において、安心してお子さんを遊ばせられる公園や、園庭開放・保育体験をさせてくれる保育園を探して、どんどん安心できる場所で、繰り返しの体験をたくさんさせてあげて欲しいと思います。そしてこの時期の自己主張を、いわゆる「イヤイヤ期」という表現で片付けるのではなく、芽生えはじめた自発性を大切にして、その成長をおおらかに見守って下さい。

2歳前パートⅡ 危ないこと大好き!

自分で歩けるようになった子どもは、興味の向くままに動き回り、ますますその活動が活発になります。自分の要望を簡単な単語でも話せるようにはなっていますが、気持ちの全部がことばにならない分、身体全体を使って自分のしたいことを主張するようになります。大人が心配するほどに、激しい動きを好んだり、わがままな自己主張をするのが、この時期の特徴です。

例えば赤ちゃんの頃は、大人に一見乱暴に振り回されたり、抱いて走ってもらったりすると「きゃっ・きゃっ」と嬉しそうに笑い声をあげて満足してくれていたものが、この時期にはことばで「もっと・もっと」とか「もっかい・もっかい」などといえるようになって、この楽しい遊びを何回でも要求するようになります。ついつい何回も応じて、大人のほうがくたくたになるということをどのご家庭も経験されていることでしょう。また公園のブランコ・滑り台・シーソー等、おじいちゃん・おばあちゃんではとても付き合えないような動きの激しい遊びも好むようになります。

実は、こうした動きを飽きもせずに繰り返し要求することは、子どもの切実な生理的欲求の一つの表れなのです。脳を激しくゆすられることによって、自分が動くだけでは得られない快感が得られるのだそうです。その快感を何度も経験することによって、子どもの脳の神経細胞が育ち、脳内の様々な細胞をつなぐ回線が張り巡らされていきます。脳内にスイッチが入り電流が流れていくといったら分り易いかもしれません。

2歳過ぎても、意味のあることばを一言も話さないお子さんに、上記の一見乱暴と思える遊びを、危険には充分に注意して積極的に取り入れることを進める指導方法もある位、子どもが声を立てて喜ぶ遊びには、生理的に大きな意味があるのですね。その他にも、大好きなもの・人・場所などをよく覚えられるようになり、日々のお買い物やお散歩でも、見たいものは必ず要求するこだわりの姿が強くなってきます。好きなものは何度も見て確かめ、楽しい遊びも繰り返し試したいのです。そうして子ども自身に、自分の身体の力の入れようや自分の好きなことをさせてくれる大好きな大人を信頼するという心が育っていくのでしょう。

この時期のあまりに多動で好きなものにだけ固執する姿に「発達上何か問題があるのでしょうか?」と心配されるお母さんも時々おられます。そうした方にお話を伺っていくと、「家の中では静かにさせたい、外に出かけたらよい子にしていて欲しい」といった大人側の尺度に合っていないだけで、お子さんの成長はすこぶる順調・健康的で活発なお子さんが多いようです。

元気一杯・体力の充分あるお子さんがどのような動きをしようと、危険さえなければ出来るだけスリルの多い動きを経験させてあげて欲しいと思います。この時期にしか獲得出来ない身体感覚を、是非育ててあげたいものです。しかしどんな時でもこの時期のお子さんは目を離したり、腕を引っ張ったりなどは厳禁です。そして自分で少しづつ、はねる・もぐる・飛び降りるなどの動きを経験させて、こども自身の身体の感覚を自分で感じ取れるよう見守ってあげたいですね。未熟ながらも自分でしたいということをさせてくれる大人を、子どもは心から信頼します。また、自分でやり始めたことで失敗やつまずきがあったときは、いつでも抱きとめて慰めてくれる大人が居ることによって、子供には「自分は認められている」という自尊心が確実に育ちます。こうして子どもたちのなかに、自分自身を大切にする「自尊感情」という、最も大切な心の基礎が育つことになります。

保育園でも「大切なお子さんをお預かりしている」といった緊張のあまり、「怪我をさせては大変」という考えが優先されてしまうことがあります。そうなると、子ども達が自由に走ったり高いところによじ登ろうとすることを、「あぶない・あぶない」といって禁止してしまいがちになってしまいますが、この時期こそ保護者の方々と充分な連携の下、お子さんの生理的な要求をいかに満たしてあげるかに知恵を絞って生きたいものと考えています。

2歳前パートⅢ ことばが増える

2歳前パートⅡ危ないこと大好き」では、子どもがとてもよく動き、スピードやスリルを喜びはじめた様子、そしてそのことがいかに子どもに必要なことかを述べました。

ひとたび公園の遊びを知った子どもは、決まった時間に外遊びや散歩をせがみます。また子どもの要望に応えようと、お父さん・お母さんは大好きな電車や車を見せたり、きれいなお花屋さんや玩具や絵本の並ぶお店にもお出かけすることでしょう。子どもの世界はぐんぐん広がってきます。お出かけすればお父さんお母さんがよその人と話す機会も増えます。お母さんが笑ったり、お店の人の対応に少々強い口調になったりと、いつもの家の中では見られなかったお母さんの変化に富んだ表情やことばも、子どもは敏感に感じ取っていきます。脳の中で繋がった回線が子どもに様々なことを理解させたり考えさせたりするのです。直接体験し感動を覚えた事柄は、たちまちことばとして発せられることになります。

子どもの中には耳で聞いただけでオウム返しにことばを話し始めるタイプのお子さんもいますが、子どもがことばを獲得していくに当たっては、実際に見たものへの感動や情感を伴ったことばを獲得していけることが何より大切なことだと、私は思っています。「どのくらいの数のことばが話せるか」ではなく、「どのくらい実体験を伴ったことばを話せるか」ということに、私たち大人は気をかけたいですね。

発達心理学の研究によると、子どもの発語時期には、約1年の開きがあるようで、言葉が早い遅いだけで一喜一憂するのはあまり意味がないと言っています。大人の人でも思ったことをすぐに話す人もいれば、大変無口な人も世の中にはたくさんいますから、様々な個性を持った大人たちのもとで育てられている以上、子どもにも個性があって当たり前です。子どもの頃あまり喋らなかったけれど大人になったら人前で講演や演技をする人になった、という方もたくさんおられる位ですから、この時期の発語の時期や発語数にこだわることはありません。それより子どもにとって意味のあることば、心の中でして欲しいこと、大好きなものなどを、子どもなりの発声で表現できることが大切です。

例えば大好きな車を「ぶー」と言えれば、その一声で子どもは「くるまがきた!」「あのくるまかっこいい!」「くるまにのりたい!」「くるまいっちゃった」などなど、色々な気持ちを表現しています。子どもは実に色々なことを感じていますし、自分の好きな事やして欲しいことはたくさんあって、その思いはもう溢れんばかりに蓄えているのですが、それがことばになるにはだいぶ時間がかかる厄介な時期でもあるのです。

そこで、子どもが一言で全てのことを表現しているこの時期こそ、周囲の大人は丁寧に、そしてゆっくりと、子どもが思っているであろう事をことばにしてあげる必要があります。「子供の目線で」ということばがありますが、正にこの時期、丁寧に話しかけることが大切です。街中で辛抱強く話しかけておられるお母さんを見かけますと、本当に心が温まります。大人にはあまり関心のない事柄について、街中で「くるまきたね〜」「かっこいいくるまね〜」なんて大きな声で話すのは恥ずかしい、ばかばかしいと思われるかもしれません。けれどこの時期の子どもへの応答は子どもにことばを教えると言うことに加え、とても大切な大人との心の絆を育てる絶好の時期なのです。

「うちの子ぶーしか言わないのよ」なんて言わず、どうかお子さんのことばにならない心の中のことばを是非感じ取り、引き出してあげてください。子どもは本当にけなげな存在で、自分の好きな事柄をことばにしてくれる大人をたちまち信頼してくれるものなのです。「ぶー」と車を指差し、声を出したら、それは子どもにとっての立派なことばです。前後の体験・子どもの表情・体の表情などから子どもが言いたいことを感じ取っていく感性を持つことが、保育園で保育に当たる保育士さんたちの大きな課題でもあります。保育士さん達には、口数の少ない、大人しい子どもの仕草こそ見逃さず、適切な声かけをする様に、指導しています。

2歳までの時期はとにかく、一人ひとりの個性に合った生理的欲求を満たしてもらうことが、何より大切です。そして、大人からのシャワーのようなやわらかい声かけをたくさん浴びて育った子どもは、「大人の愛を信頼できる子ども」に必ず育ちます。2歳までに人間としての基礎的信頼を育むことは、私たちの保育園のとても大切にしているテーマでもあります。

2歳過ぎパートⅠ 自立への準備

一人歩きがはじまり1年近く経ちました。2歳の誕生日を迎える頃には、もう小走りに走れるようになり、外遊びが大好きで、一人でどんどんおすべりを登っていく活発なお子さんもいることでしょう。

この様に体の動きが活発になってきたことによって、子どもは自分の体の快・不快が色々な形で分ってくるのです。あるズボンが気に入って、「いつもお気に入りのズボンしか穿きたがらず、とてもこだわりが強くなりました」とおっしゃるおかあさん方がたくさん居られるので、お気に入りのズボンを見せて頂くと伸縮性の動きやすいズボンが圧倒的に多いのです。プラスお気に入りの模様と言うことらしく、「どのお子さんも実は動きやすいズボンを好んでいるのではないかな」と、私は思っています。

この様に2歳を過ぎる頃には、子ども自身言葉にはしないまでも、肉体的なうっとうしさというもの、特に「オムツや洋服が苦しい」と言う感覚がとてもはっきり分ってくるのです。

私が子育てをしていた40年も前の子ども達は、布オムツをあてがわれていましたから、2歳前後が暖かい季節だと、遊んでいるうちに自分でオムツをはずすことが度々で、「2歳にはオムツがはずせている」ということを目標に、私達母親は子どもの2歳前からオムツはずしに躍起になったものでした。オムツの洗濯から早く開放されたいという思いが強かったのですが、焦り過ぎたお母さんが、お漏らしをしたこどもを叱りつけるといった大きな勘違いも多く見られました。

紙オムツが普及してからは、2歳でオムツをしている子どもが殆どです。不快感もないらしく、遊んでいてオムツをはずしたがるといった姿はあまり見かけません。

けれどそれでは何時までもオムツがとれないと言う事で、「2歳前から布オムツをさせましょう」と奨励する人もいますし、不快を感じられる紙オムツも実際に売り出されているようです。つまり「オムツがぬれると気持ち悪い!!」と子ども自身が感じないと中々トイレでの排泄が定着できないと言うことになります。

「特に急がなくても・・・」と思っておられるお母さんも多いようですが、目安としては膀胱に尿がしっかりためられるようになったら、本格的なトイレトレーニングを始めると効果があります。3歳迄には子ども自身“恥ずかしさ”と言った感情も芽生え出しますのでそれ迄には、やはりトイレでの排泄・排尿が出来るようにさせてあげたいですね。

私たちの保育園では、ご家庭で「いよいよオムツはずしをします」と宣言されるのに合わせて保育園でもオムツをはずしますが、その前に“トイレットトレーニング”というプリントを配布してご家庭と保育園と同じ対応で見守るよう気をつけています。

さて、本格的なトイレトレーニングに入る前に、前述した膀胱に尿がしっかり溜められるという目安は何でしょう?この年齢になると2時間ぐっすりお昼寝をして起きて来た時、オムツが全然ぬれていないと言うことが何日も続いたら、だいぶ膀胱に尿が溜められるようになったということになります。

このことは、勿論肉体的な個人差がありますので、1回ごとの尿の間隔は個人差がありますが、やはり尿を膀胱に溜める為の訓練を、子ども達は知らず知らずのうちに行なっているのです。

2歳を過ぎた子ども達は、戸外では動きっ放しでじっとしているということを知りませんが、室内にいる時は、ブロックや積み木などにじっくり取り組んでいる時間も実は段々増えてきているのです。そうした“ひとり遊び”に熱中している時は、できるだけ声をかけずに熱中させておくことが大切です。そうした時間、子どもは排尿することなく、膀胱にじっくり尿を溜め、膀胱も知らず知らずのうちに、尿を溜められる大きさになってくるのです。

“ひとり遊び”の効果は、膀胱に尿を溜めること以外に子ども自身の心を大きく豊かに育てる効果も備えています。積み木やブロックを自在に組み合わせられる様になると、自分に大きな自信が育ってきます。おもちゃを投げたりすることも実は子どもの運動能力が大きく成長したことを自分で試し、投げられるということが嬉しくて仕方がない現われなのです。

この様に、自立に向かって子どもは自分のペースで着々と成長しています。まだまだ言葉で充分な表現が出来ない分、すぐにかんしゃくを起こし、びっくりするような大声で泣いたりもしますが、子どもの気持ちを分ってあげて、丁寧に根気良くお話してあげることがこの時期特とても大切です。おもちゃを投げたら「おもちゃちゃんが痛い痛いと言っているよ」などおもちゃにも心があると言う風に、擬人化して話してあげたりすると、びっくりする位、泣き止むこともありますので、試してみて下さい。

いよいよ自分の意思がはっきりとしてくる2歳児時期、子育てが難しいと思えるお母さん方がとても多くなる時期でもあります。いよいよ困ったことがありましたら、どうか保育園を尋ねて下さい。保育園の1歳児クラスにはあなたのお子さんと同じ、「いやいやちゃん」がたくさん居ますから、プロの保育士さんに対応の方法を聞いてみて下さい。

2歳過ぎパートⅡ トイレットトレーニング

前回の“楽しく子育て”では、トイレットトレーニングの前段階として、「一人遊びを見守り、膀胱におしっこをためる練習をしましょう」といったことを書きました。
オムツがはずれるという事を、子ども自身の発達から考えてみると、

ということになると思います。
子どもの発達については個人差があるので、その子の月齢で、オムツはずしを決めるのは適切ではありません。大人側から子どもを見た具体的な目安としては、

ということが2歳過ぎにそろったら、オムツはずしの時期が来たと考えられます。そしてオムツをはずす重要な条件は、寒い季節を避け、子どもが嫌がっていないことです。中にはとてもデリケートなお子さんが、トイレの水洗の音にびっくりして、トイレをすっかり嫌ってしまったという話を聞いたことがありますが、そうしたお子さんは、おまるを上手に使って、ゆっくりトイレに慣れていくようにすると良いのではないでしょうか。また、きれい好きなお母さんが、子どもがトイレのあちこちを触ることを禁じて叱ってばかりいると、子どもはトイレがすっかり嫌いになってしまいますので、叱り過ぎないようにしてあげてください。

このようなことに気をつけながら、いよいよトイレットトレーニングが開始されますが、保育園では、必ず保護者の方と面談を行い、大人同士の対応を一致させるため、トイレットトレーニングの保護者向けマニュアルをお渡しします。ご家庭でオムツはずしを始められるようでしたら、是非他の家族の皆さんと読んでいただいて、同じ対応をするために、このマニュアルを参考にして下さい。

さて、いよいよオムツをはずしパンツで過ごすことになったら、お子さんが外遊びをする午前中の時間帯でしばらく練習してみましょう。遊びの最中におもらしをしたら叱らずに、「あらおしっこ出ちゃったね、今度はおしっこって教えてね」とやさしく話しかけて、丁寧にふいてあげて下さい。実は子どもは、今までおしっこをしても何も不快な気持ちを経験していないのですから、びっくりするやら戸惑うやらとても困った気持ちになると思います。そこで大好きなお母さんか叱られると、どうしてよいか分らなくなるのです。そして「おしっこをすることがいけないこと」と思ってしまいその後も言葉で「おしっこ」と中々言ってくれなくなります。

以前3歳を過ぎた女の子の親御さんが、どうしても「おしっこを教えてくれない、トイレに行きたがらない」と、相談に来られた方がありました。他の事は何でも分かっていてかなりおしゃべりもできているのに、おしっこに関してだけはかたくなにトイレに行きたがらない、というのです。よくよくお母さんのお話を伺うと、どうもトイレットトレーニングの始めの頃、お漏らしをきつく叱っていたそうです。「しっかり叱っておかないと分からないと思って」とおっしゃるお母さんは、他の事ではあまり叱るタイプの方ではなさそうで、むしろ静かなタイプの方でした。女の子もとても賢そうで、だからこそお母さんが漏らした事を叱ると、おしっこそのものがいけないと思ってしまったのでしょう。

「決して叱らないで」ということと、トイレが楽しくなるように「何か絵でも貼ってあげて」とお願いしたところ、1ヶ月もたたずに連絡がありました。「私が勘違いをしていました。叱らずに褒めるようにしたら、あっという間にトイレでできるようになりました」と報告を受け、本当にほっとしました。

トイレットトレーニングで親子関係がこじれてしまうと、将来自分が何かを発表し、意志表示をすることが苦手な大人になってしまうと言われています。

子どもにとっては自分の身体の一部分である排泄物を、大人から丁重に扱ってもらうことによって、自分自身を大切に思える「自尊感情」が育つことを私たちは十分心得ていたいものです。

2歳過ぎパートⅢ 何でもじぶんで!!

間もなく2歳半になろうという年齢になると、子ども達は生活の全ての場面で大人の行動をよく理解できるようになってきます。生活の流れが分かってきているのですが、だからといって大人の思い通りに生活してくれる訳ではないのが、この年齢の特徴です。

生活の一つ一つに「大人と同じように自分もやってみたい!!」と思い、何にでも手を出して触ってみて、大人と同じ仕草を真似する場面も多く見られるようになります。

例えば食事の場面でも、大人の使っている箸にふと気付き、「じぶんもつかいたい!!」と言って箸を持ち、危なっかしくてはらはらするという経験をされたご家庭も少なくないでしょう。「箸なんて危ないでしょう!!」と言ってすぐに取り上げたくなりますが、箸を持って歩きまわらせないようにして、少しは自分で使わせてみても良いかもしれません。うまく使えないと食べられないということが分かれば、たちまちいつものスプーンやフォークに戻ります。何でもじぶんで体験することによって納得するのです。この時期に何でも「危ないの、だめだめ」と言って子どものやりたいことを拒んでいると、とても怒りっぽい子どもになってしまいます。この「大人の仕草を真似したい!!」という要求は、赤ちゃんの時に感じた「大人の使っている物をさわりたい!!」という欲求からさらに成長した証でもあるのです。

2歳を過ぎた子どもは、自分の存在以外に「他人」という存在があることに気付き始め、今まで世話をされることが当たり前だった自分から、世話をしてくれる人と自分の関係に気付きます。「世話をしてくれる人のようにやってみたい!!やれる!!」と思うのです。日常的な様々なお世話の一つ一つを「○○ちゃんも〜」といってじぶんでも実際にやってみたいと言い張ります。上記の箸の時のように、できる限りは子どものしたいようにやらせてみてください。やってみて子どもは身体感覚で理解できることがたくさんあるものです。何より自分の希望を聞いてもらえたといった満足が積み重なります。3歳近くまで子どもにとって、この様な細かいことを受け入れてもらって過ごす事と、「だめだめ」の連続で過ごす事には、大きな差が生じてくるものです。

保育園でも、3歳近い子どもが玄関先でものすごい声で怒って泣いていることがあります。ある時、大きな声に何事が起こったかと事務所から出てみると、靴箱からお母さんが靴を取り出してしまったと怒っているのです。そういったときの子どもは、決まって「じぶんで〜、じぶんで〜」と泣きながら叫んでいます。「じぶんで靴を出したかった」ということなのですが、おかあさんがこのことをあまり重要に考えていない場合は、事がとてもこじれてしまいます。泣いて怒っているお子さんをあまり理解できていないと、お子さんはますます怒っていきます。「クックちゃんをじぶんでとりたかったのね」といって「クックちゃん下駄箱に帰ろうね」といいながら、「下駄箱どこか教えてくれる?」と聞いていくと、ちょっと泣き止んできまり悪そうに自分の下駄箱の場所を教えてくれます。「クックちゃん戻ってうれしいうれしいって言っているね」などのお話をしているうちになんとなく機嫌が戻り、自分でそそくさと靴を取りに行き、自分で靴を履き、何とか機嫌が直っていきます。もちろん靴を履くにも、時間がかかります上手に靴が履けないときは、さりげなく後ろから手伝って自分ではけたという気持ちにさせてあげるということもこの時期のお子さんには必要なことかもしれません。とにかく、子どもの心の中に大きなプライドの芽が育ちつつあることを、私たち大人は気をつけなければいけないことなのです。

この時期の子どもは「自分で何でもやりたい」といった思いが強い割には、なかなかうまくはできないことがたくさんあります。「どうせ上手くできないでしょう」とか「時間ばかりかかって待っていられないでしょう」といったお母さん方の気持ちは本当によく解りますし、私自身の子育ての時期はやはり上手に対応してあげられなかったな〜と反省しきりではありますが、上記のお子さんのように泣き叫んで怒ってしまわぬよう、この様に大事になる前に、自分でやりたいという要望を細かく聞いてあげて欲しいと思います。子どもに「やりたい」ということをやらせてあげていくと、子どもの心の中に自己有能感(自分は何でもできるんだ〜といった気持ち)が育ち、小学校に入学する頃には「自分はみんなに受け入れられている」といった自尊感情が育って行きます。

そして自分を大事に思う心が育った子どもは、友達の良いところを認められる心が育ち、友達と共に競い合い・支えあう子ども集団に溶け込んでけるのです。

反対に、この時期に「何でもじぶんでやってみたい」という気持ちを受け容れられずにいると、自分に自信が持てない子どもに育ちます。小学校に行ってから学習や友だち関係に意欲的に取り組んで欲しいと願っても、手遅れにならぬ様、今のこの時期の子どもの可愛い意欲を大目に見て叶えてあげて欲しい思います。

2歳半前後パートI 生活のリズム

2歳を過ぎ、2歳半に近づいて成長してきた子ども達は、大人と同じように朝・昼・晩の3回の食事時間となり、午睡時間を除けばほとんど大人の生活に近づきます。何でも大人と同じように過ごしたいと自分の気持ちを主張するので、子どもが望むからと、お父さんの帰宅時間に合わせて夕食が遅くなるご家庭も多いようです。夜の入眠が11時を過ぎるお子さんもいるという統計を、新聞で見たことがあります。

確かに毎日の夕食時間に、お父さんが一緒であるかそうでないかと考えれば、お父さんが一緒の方がどんなにか楽しいことでしょう。お母さんも夕食のつくり甲斐が出るというものです。忙しく働くお父さんにとっても一家団欒の時間は、どんなに幸せなことでしょう。以前ご相談に来られた方で、お子さんが小さいうちは、夜が遅いと翌朝起きるのも遅くなり、大人もゆっくり眠っていられるからと、割り切って帰りの遅いお父さんを毎日待って夜型の生活リズムで過ごされているご家庭のお話を伺ったことがありました。けれどご相談の内容は就寝リズムばかりでなく、「少食」について悩まれているようでした。

その際、お子さんの少食の原因は勿論体質的なことはあると思うが、入眠時間が遅いことにより、夜の9時から12時位までの時間帯に眠ることで活発にでる成長ホルモンが働いてくれないと言うことも原因ではないかと話しました。しばらくしてまたお話しする機会があった時に、「父親との遊ぶ時間は週末にまとめるようにして、普段は出来るだけ9時前には寝かせようと努力していますが、なかなか思い通りにならなくて・・・」と話しておられました。そして、お子さんの少食は体質的なこともあり、それほど改善はされていないようでしたが、「とにかく毎日外遊びに出たがるようになった」と話されていました。

この年齢でしたら、外遊びに出たがるようになったということはすばらしい変化です。外で遊んでおなかが空けば、必ず食事量も増えていくものです。そしてお昼寝の時間もできるだけ3時頃に起きられるような時間帯にしていけば、だんだんと夜9時前後の入眠に持ち込めるのではないでしょうか。子ども達にとっての食事・睡眠には、昼間の活動量が大きな影響を及ぼすのです。

子ども達の生活リズムというものは、一見、大人の都合でどうとでもなるところがあり、大人中心の生活に子どもを従わせがちです。また、生活リズムによって変化する「子どもの生命力」も、目に見えないうえに、子どもごとに大きな幅があるものなので、生活リズムが子どもの成長に大きな影響があるということを、実感しづらいかもしれません。しかし、私たちの保育園に通う子ども達の例をとってみても、午前中の活動に集中できず、いらいらしている子ども達は、大半が前夜の睡眠不足のため朝食を食べたくなくて登園してくる子ども達です。このような夜型のリズムが4・5歳の幼児期まで続くと、小学校に入学するからといって、そうそうは改善されなくなってしまいます。しかし実際に小学校の成績優秀児童の大半は、朝食を充分に食べている子どもであったという、何とも現実的な調査発表を見たときに、「なるほど」と感心したことがありました。子どもの生活リズムを整えてあげる事は、快適に寝る事、食べる事に直結し、その結果、子どもの集中力や達成力といった成長と密接に関係しているのだと思います。

お子さんにとっての生活リズムを整えていくことは、食事時間を一定にしていくことから始まると思うのですが、目の離せないお子さん達を見ながら、食事の準備をされるお母さん方は、本当に大変なことだろうと思います。私自身、1歳5ヶ月違いの二人の娘を育てていた頃、どのように食事の準備をしていたかを思い出すと、それはそれは大変なことでした。大抵の日は、子ども達が寝入ってから、翌日の下ごしらえのようなことをしていたことを思い出します。例えば野菜は洗ってすぐに使えるように刻んでおくとか、たまねぎやひき肉を沢山いためておいて、すぐにオムレツやチャーハンが作れるようにとか、何かと工夫しては、子ども達の食事の仕度はできるだけ短時間で済ませるようにしていました。冬などは、煮物やスープを沢山こしらえて、何日も同じものを食べていましたが・・・。

お子さんにとっての生活リズムを考える時、大人が生活の中でどのような優先順位をつけていくかを、生活を共にされている家族の方々と充分に話し合って欲しいと思います。お子さんにとって最も健康的に過ごせるご家庭のリズム作りは、短期的には手のかかることに思えても、長期的には子どもたちの最大限の健康的な発達を引き出します。そうした生活が、ご家庭のかけがえのない「家風」となっていくのではないでしょうか。

2歳半前後パートⅡ 泣き叫ぶ!!

30分以上バスに乗り、買い物に行った時のことです。車内は混んでいたのですが幸いにも座れ、週末の疲れでうとうととしていたところ、バスの奥のほうから突然男の子の泣き声が聞こえて来ました。あまりに大きな泣き声で「何事?」と奥を振り返る人もいたぐらいですが、どうやら男の子は「すわる〜、あそこ〜」と、泣きながら主張しているようです。おばあちゃんとお母さんが低い声で、「そこはよその人が座っているでしょう」というようなことを言い聞かせているのですが、泣き声はますます大きくなるばかり。「私が立ちましょうか?」席を狙われた老女の声まで聞こえて来て、「さてどの様な展開になるのかしら・・・?」と、ちょっとどきどきしていると、買い物のビニール袋を沢山もったお母さんが「そんなとんでもありません」と老女に断り男の子の手を引きながら私の座っている前の方に、やってきました。男の子は、ひっくり返るほどの高い声で泣きながら「すわるの〜」といい続けています。おばあちゃんもそばに来て、お母さんの大きな買い物袋を「持ってあげる」と少し硬い表情で受け取りました。手の空いたお母さんはさっと男の子を抱き上げますと、たちまち男の子の泣き声のトーンが下がりました。そしてその後お母さんは丁寧に「もしあの席に○○くんが座っていて、誰か違う人が座りたい〜って言ったらいやでしょう。あの席は、今日はもう座っている人がいるでしょう。今度バスが空いている時間に乗ろうね」その様なことを2回ぐらい熱心に話しているうちに男の子は、いつの間にか泣き止んでいました。お母さんのお話にいちいちうなずく様子はないものの、「座れないのだ」と自分に言い聞かせているかのようにじっと一点を見つめ、お母さんの肩にまわした男の子の指は、しきりにカリカリと動いていました。

この男の子はおそらく座りたいといっている席に何度か座ったことがあるのでしょう。お気に入りの決まった席になんとしても座ろうとする姿と、単語をつなげただけの言葉遣いに、2歳児半ばの特徴がとても良く現れていると思いました。バスのなかの人々のなかにこの男の子の泣き声を「うるさい!!」などという人が居なくてほんとに良かったし、お母さんも男の子を叱らず、丁寧に諭す姿にはとても感心させられました。

このように、自己中心的な姿を見せる2歳児時代、「思うようにならないと泣き叫ぶから、できるだけ乗り物には乗らない」と決めておられる方も時々いらっしゃるのですが、私はこの時期にどんどんバスや電車に乗って、たくさんの経験をさせて欲しいと思っています。自家用車などで買い物などに出かけることは、確かに大人にとっては楽なのでしょうし、子どもが何か思い通りにならないことで泣き叫んでも、他人の目を気にせずにすみます。この男の子のお母さんのように真剣に受け止めて分らせようとせず、車の中だと泣かせ放しにしてしまうかもしれません。けれども、泣き疲れて寝入ってしまうというパターンは、子供にとってとても不幸なことではないでしょうか?この時期の子どもの要求の殆どは、子どもにとって当然の要求なのです。この要求を出せるということ自体、子どもの心が順調に育っているということだと私は思います。

まだまだ自分の気持ちを充分に発することの出来ないこの時期の子どもはまた、この時期にしか成長しないすばらしい能力を発揮します。例えばお目当てのお店が定休日だったとして、お店の前で大人が「あーあ残念」といったとすると、次に同じような状況に出くわすと子どものほうが「残念ね」と的確に使ったりして、どういう時に“ざんねん”ということばを使うのかどんどん実体験の中で、感情を含めて覚えていきます。あまりにも的確に、またあっという間に色々なことばを覚えていくので、大人がびっくりして、「うちの子、天才かしら?」などと思う方が多いのではないでしょうか?けれどこのすばらしい能力は、大人の都合よい場面にのみ現れる訳ではないことを、お父さん・お母さんは充分にお感じになっていることでしょう。楽しかったひとときの状況を体全体で覚えていて、上記の男の子の例のように一度経験した感動的な体験を何が何でも主張するのが、「自己中心的時代」と言われるゆえんなのです。この時期、様々な場面で私達大人を困らせながらも、子どもは「どれほどぼくのしたいことをわかってくれるか?」と私達大人を試しつつおお泣きしています。それを肝に銘じながら、子ども達にできるだけの実体験をさせてあげて欲しいと思います。日常生活の中での、大・小様々な葛藤を経験させてあげつつ、子どもが泣くことに無関心にはならずに真剣に子どもの気持ちを聞きだし、たくさんお話をしてあげて下さい。楽しく子育てNo.2赤ちゃんの泣き声でも書きましたが、多く泣いたお子さんほど、心豊かな年長児時代を迎えられことを、何人ものお子さんから教えられています。

2歳半前後パートⅢ 質問が増える

夏の季節に2歳半前後を迎える子どもの大半が、オムツをはずしパンツで遊ぶようになります。オムツの鬱陶しさから開放された子どもは、活発に動き回り身体で様々な事を体験し、私たち大人から見たら特別ということではない場面(転ぶ・落ちる・ぶつかる)等を通して、様々な事を感じ、学んでいるのでしょう。自分自身の身体が「あぶない!!」という感覚を感じる時、子供の心の中に育ち始めている想像力と結びついて “なんとも言えない恐怖心”も芽生え始めてきます。

小走りに走れる位に足が達者になってくると、子供たちの言語もみるみるうちに達者になってきます。脳科学の文献で諸器官の発達の説明を読むと、言葉の達者な子供がおしっこを漏らすことが多いということが納得できます。言語と排泄をつかさどる脳は隣り合わせていて、あまりに言葉の早いお子さんはどうしても排尿のコントロールが遅くなるのだそうです。「あ〜あでちゃった!!せっかくきたのに」などと言葉に出来るくらいなら「早くトイレに行きなさい!!」と言いたくなりますが、ここはぐっと我慢、決して叱らないで下さい。こっちが立てばそっちが立たず、2歳児時代の成長はまだまだアンバランス。そこがなんとも可愛いではありませんか?

さて、保育園での2歳児ですが、4月1日に2歳になっている子どものクラスですから、4月の新学期は、2歳になったばかりの子どもと4月の誕生日を迎えるとすぐに3歳になる子どもがいます。このように月齢差がありますが、オムツはずしなどは子供の体質・個性・生まれた季節に影響されることが多く、あまり月齢順にはずれるというものではありません。けれども、大人への質問の際のことばに表れる「こころ」の発達に目を向けると、月齢の低いこどもと月齢の高いこどもの違いが、分かりやすく現れてくることに気づきます。

月齢の低い2歳児は「物には名前がある」ということに気づき、しきりに「これなに?」といった質問をしてきます。私達大人が丁寧に優しく答えてあげると、そのやさしさを期待して何度も何度も質問を繰り返す子どもがいます。どうも気に入った答え方をしてくれる大人には、何度も「これなに?」を繰り返すようです。そして2歳半を過ぎた子ども達の心の中に育ち始めた恐怖心は、実際の言葉となって言い表されてきます。昨年度の2歳児クラスで私が絵本読みをした際、子ども達の様子やことばを担当保育士さんに記録をとってもらっていましたが、その記録を読むと子どもの質問は、心の中の恐怖心からくるものがとても多いことに気づきました。

おばけ・かいぶつ・おにが出てきて主人公を「たべちゃうぞ〜」という場面のある絵本は、子どもにとっては、不思議な魅力があるようです。こうした絵本を読むと、保育士にしがみついて絵本を見ている一方で、「どうしておばけがでるの?」「かいぶつはこわいの?」「どうしておにはたべるの?」といった質問をしているとの記録が書かれていて、子どもが興味津々の様子が伝わります。そこで読み手としては、怖がらせすぎないで興味を引くバランスを考えます。

「この本はだめかな?」と思っていると「またよんで〜」とせがまれるので、子とも達は、安心できる読み手や、保育士さんと一緒なら、怖いお話は聞きたくて仕方ないほど好きだということが分かります。怖いけど、「もっとよんで!!」とせがまれる絵本の中に、フランス民話“ふくろにいれられたおとこのこ”山口智子再話 堀内誠一画(福音館書店)があります。ある日、この本を読み終えた時、間もなく3歳になる男の子が聞いてきました。

 男の子:おにはどうして死んだの?
 わたし:わるいやつだから。
 男の子:なんでわるいの?
 わたし:ピトシャン・ピトショ(主人公の男の子)をたべちゃうから
 男の子:なんでたべるの?
 わたし:子どもはおいしいからよ。
 男の子:(にやっと笑う。)

3歳近くなると、このように怖いお話は子どもの想像力を育て、考える力も同時に育てる助けとなります。子供たちの質問は次々と繰り返され、質問に答えた言葉にまた質問してくるといったことになることも普通です。そんなときは、「うるさい〜いい加減にして~」と言ってしまいたくなるのですが、これでは大人の負けですね。質問には分り易く、子どもが肯定される形で終わらせてあげることが肝心です。時には、ユーモアやジョーク、ファンタジーをまじえて、最後は大人も一緒に笑えるくらい楽しい雰囲気の答え方をしたいものです。そのことで子どもには、自分自身を大切にされているという感情とともに、物事を豊かに捉えられる楽しい心も同時に育つことでしょう。